注⑴ Hans Lulfing, “Libro e classi sociali nei secoli XIV e XV”, in Guglielmo Cavallo, ■■■■■■■■■■■■■■■■⑷ 須藤祐孝・油木兵衛編『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ ⑼ 現在ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵(inv: 1939.1.229)。1879年以前の来歴はわかっ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Roma, 1977, pp. 212-213.⑵ ここには実に19枚の挿絵が付されていたという。Anne Dunlop, “ “El Vostro Poeta”: The First Florentine Printing of Danteʼs “Commedia” ”, ■■■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, vol. 20, no. 1/2, 1993, pp. 29-42; 展覧会カタログ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■■■■■■■, London, Royal Academy of Arts, 2001. また、拙論「サンドロ・ボッティチェッリ後期作品研究」第2章(博士論文、東京藝術大学大学院)において、この事業とボッティチェッリの関係を論じた。⑶ 邦語版:アンドルー・ペティグリー『印刷という革命:ルネサンスの本と日常生活』桑木野幸⑸ Gustave Gruyer, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■15■■■■■16■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■, Paris, 1879, pp. 124-136. またこれ以降、刊行物についてはLudovica Sebregondi, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■19■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■1495-1998, Firenze, 2004を主に参照。⑹ 「自分で描いた素描からたくさんの版画をつくらせたが、彫り方がまずかったために出来栄えは悪かった。彼の手になる一番出来のよい版画は「フラ・ジローラモ・サヴォナローラ・ダ・フェッラーラの信仰の勝利」である。」訳文はヴァザーリ『美術家列伝』第2巻「ボッティチェッリ伝」森田義之訳、中央公論美術出版、2020年、585頁による。⑺ Girolamo Savonarola, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■), Roma, 1974.⑻ この問題については、R. Hatfield, “Botticelliʼs ■■■■■■■■■■■■■■■, Savonarola and the Millennium”, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, vol. 58, 1995, pp. 88-114; 拙論「サンドロ・ボッティチェッリ《神秘の降誕》:天使と人間の抱擁のモティーフについて」『美術史』第186号、2019年、298-314頁 を参照されたい。⑽ 平井、前掲書(2019年)。⑾ この問題については、ジャン・ドリュモー『喜びへの希望』西澤文昭・永見文雄訳、新評論、2019年, 136-138頁(邦語版)を参照。また、報告者も博士論文において詳細に検討した。平井、に提示された可能性である。さらに多くの例を検討する必要はあるが、サヴォナローラという人物についてのイメージ形成がいかになされたのか、その一端に触れることができたと思われる。宗教著作に含まれる挿絵の調査を通して、この時期の刊行物と絵画作品との関係の実態をより明らかにすることができた。この調査を手掛かりとしてさらに深化させていくべき課題であることを強調し、本研究の結とする。司訳、白水社、2015年、95頁(原注20頁)。サヴォナローラ、マキァヴェッリの時代、生涯』、無限社、2002年。ておらず、15世紀末にフィレンツェで見ることが出来たかどうかは些か不明。― 266 ―― 266 ―
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