鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
276/549

⑿ Frank Zöllner, ■■■■■■■■■■■■■■■■■, Munich, 2005, pp. 175-177; 平井・前掲書。⒀ 作品の情報は、Jean K. Cadogan, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, New Haven & London, 2000, pp. 54-57, 216-218を参照。対となるボッティチェッリの《聖アウグスティヌス》同様、学者としての性格付けがなされている。発注者とされるジョルジョ・アントニオ・ヴェスプッチはのちにサン・マルコ修道院に入信、ドメニコ会修道士としてサヴォナローラの追随者となった。⒁ 当初は聖堂正面、主祭壇の聖歌隊席に続くドアの左右に配置されていたようだが、1564年に聖堂側廊部へ移動された記録が残る。作品基本情報は、Ronald Lightbown, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■London, 1978, I, pp. 49-52; II, pp. 38-40を参照。⒃ Herbert P. Horne, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, London, 1908 (1980: second edition), pp. 66-73. なお、H. ロバーツとM. ミースは、この作品をテキスト上の典拠(アウグスティヌスの偽書簡)と結び付け、主題を「書簡で語られるアウグスティヌスの幻視」と定義付けている。この解釈は比較的近年の研究者に指示されている。Helen Roberts, “St. Augustine in ʻSt. Jeromeʼs Studyʼ: Carpaccioʼs Painting and Its Legendary Source”, ■■■■■■■■■■■■■■■■, vol. 41, no. 4, 1959, pp. 283-297; Millard Meiss, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, New York, 1970, p. 170. アウグスティヌスの瞑想とボッティチェッリの《キリストの変容》の関連を論じた拙論「サンドロ・ボッティチェッリの三連画《キリストの変容》に関する試論:「アウグスティヌスの幻視」」『東京藝術大学西洋美術史研究室紀要』第18号、2020年、49-56頁も、併せて参照されたい。⒂ Giorgio Vasari, ■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Istituto Geografico de Agostini, Novara, c. 1967, p. 225.⒄ Piero Ginori Conti, ed., ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ Firenze, 1937, pp. 60-62.⒅ Christian K. Kleinbub, “Raphaelʼs ʻTransfigurationʼ as Visio‒Devotional Program”, ■■■■■■■■■■■■■■■■, vol. 90, no. 3, 2008, pp. 367-393.⒆ 1499年11月2日のエピソード。「なぜ修道士は死ななくてはいけなかったのか」「罪を犯してはいないが、仕方なかった」というような会話が記録されている。シモーネが熱心なピアニョーネであった点には注意が必要。P. Villari & E. Casanova, ed., ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Firenze, 1898, p. 508.⒇ カーリオン『予言』は1521 年刊行。実に133もの小冊子が出版されたという。アンドレ・シャ前掲書(博論)、第5章。ステル『ローマ劫掠』越川倫明ほか訳、筑摩書房、2006 年、109-140 頁。― 267 ―― 267 ―

元のページ  ../index.html#276

このブックを見る