鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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注⑴ たとえば小澤弘『都市図の系譜と江戸』吉川弘文館(歴史文化ライブラリー136)、2002年など。⑵ 拙稿「地誌と絵本挿絵のなかの江戸」『水都としての東京とヴェネツィア 過去の記憶と未来への展望』法政大学出版局、2022年、61-87頁。なお、これらの絵本の狂詠については拙著『天明狂歌研究』汲古書院、2009年、第1章第3節「天明狂歌の「江戸」」、75-81頁において論じたことがある。⑾ 『日本名著全集 歌謡音曲集』日本名著全集刊行会、1928年、242頁。三囲の図像については上⑶ これ以降、狂歌師らの題詠の対象およびそれらの挿絵の関心が江戸市中から郊外や地方に移ることは、以下で論じた。拙稿「文政期前後の風景画入狂歌本の出版とその改題・再印」『浮世絵芸術』第179号、2020年、5-19頁。⑷ 書名は立命館大学アートリサーチセンター古典籍ポータルデータベースが画像公開する中井文庫本題簽による。確認している唯一の完本がこれだが、この本に画工の記述はない。この挿絵のみを取って「江戸名所序」と題する穂波庵主人なる人物の序を付けた彩色摺の本があり(UCLA東アジア図書館NE1325-U82E36・ライデン国立民族学博物館蔵本1353-164)、この序文に歌川豊国の名が記される。⑸ 北斎の版下は文化初年頃ながら、板行が遅れたと考えられる。拙稿「『絵本狂歌隅田川一覧』の刊年をめぐって」『詩歌とイメージ』勉誠出版、2013年、271-286頁、浅野秀剛「北斎画『絵本墨田川両岸一覧』の袋と刊年」『浮世絵芸術』第169号、61頁。⑹ 「名所」が行楽地を含むようになっていくことについては、鈴木章生『江戸の名所と都市文化』⑺ 齊藤智美『『江戸名所図会』の研究』東京堂出版、2013年、第二章「『江戸名所図会』の編纂」⑻ 挿絵・主題とは別に、この書が参加者の入銀を募って刊行されたことについては、石川了『江戸狂歌壇史の研究』汲古書院、2011年、第三章第二節「入花制度の展開」344-345頁に分析が備わる。⑼ 国文学研究資料館にマイクロフィルムが収められている。⑽ 大久保純一『広重と浮世絵風景画』東京大学出版会、2007年、第三章「広重に見る江戸名所絵⑿ 前掲大久保稿、128-138頁。および井田太郎「日本橋という型の成立と解体」『日本文学』 第58⒀ 前掲大久保稿、143-149頁。べてを見通した総合的な視野が必要になる。こうした理解は、名所絵を分析するにあたっては、まずその地の定型の確認が基盤となるという事実を照射する。絵師の凝らした趣向、構図や視角の新奇さも、定型だけでなく変型も含め、型として確立したものに照らしてはじめてあきらかになる。そのときに、まとまった数の名所の図像を集めたこの時代の江戸名所絵本は有効な視座を提供するものとなるであろう。吉川弘文館、2001年、第三章3-1、pp. 109-117指摘。第四節「対象地域の拡大」、231-236頁所論。の定型」(初出1998年)、127-158頁。掲大久保稿、136-143頁に詳述される。巻第10号、2009年、52-62頁。― 19 ―― 19 ―

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