があらかじめ銀行側から設定されていたかを断定することはできないものの、戦後という時代を背景に、完成した作品は銀行と同行を訪れる神戸の人々に肯定的に受け入れられていたことが想像される〔図2〕。神戸新聞学芸部の記者であった青木重雄が昭和39年(1964)に『小磯良平画集』に寄せた文章には(注3)、本作は小磯が「若い男女のモデルを使って何十枚ものさまざまな下絵を描いたのち」、「1953年9月に9か月間かかって」完成させたとある。時代がやや下って昭和41年(1976)の『アサヒグラフ別冊 ʼ76秋』には「完成までには4カ月かかったそうだ」とある。年初から時間をかけて下絵を準備し、キャンバスに向かっての制作には4カ月を費やした可能性が示唆される。通常の絵画制作よりも長い期間をとって制作されたことは確かである。旧制中学以来の友人で小磯についての重要なエッセイを多数残した詩人の竹中郁も、本作について証言を残している。銀行から小磯に対してなされた制作依頼について、「銀行が注文を出したに違いないけども、建築とは別個の注文なんですよこれね。(略)もう本店があって、そこの空間が空いとるからそこへ壁掛けの代わりに掛けまんねん」と語っている(注4)。竹中の指摘は、実際に絵が壁に掛けられている神戸銀行本店営業部の様子を写真で見ると了解される〔図3〕。柱越しに右側の一部をのぞかせているのが本作である。本作は巨大なキャンバスに描かれたものではあるが、壁全体を覆うようなものではなく、直接壁に描かれた西洋の教会などの壁画と比べると、一枚の絵画作品であることが際立つ。壁への設置と加筆絵画作品として輸送に耐えられる大きさであればこそ、本作は完成後に第17回新制作協会展(以下、新制作展)に出品することができた。当時は《働く人》という作品名であったが、本稿では今日の表記である《働く人びと》を採用する。今回の調査では、新制作協会事務局に保管されている第17回展のパンフレットを閲覧し、小磯が寄せた作品についてのコメントを確認した。これまでも一部紹介されているが、貴重な画家自身の言葉であるため全文引用したい(注5)。 壁画「働く人」について……働く人と云うテーマで、人間の素朴な姿を、農婦や漁夫や左官の様な狀態でそして背景に舊港や新しい埠頭を配して場所を、重なりあう屋根や、見おろした工合いでその地勢を表現した。他は構図の都合で勝手に組み合わせをした。壁画と云うものを描いたことは今までになかつた。この機― 272 ―― 272 ―
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