鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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猪熊が労働者を描いたのはこの時期に特筆されることである。《働く人びと》は、竹中郁が指摘しているように、確かに「生産と将来への発展とを主材にしたもので、誰しもが銀行から頼まれれば取り上げるにちがいない題材」(注18)である。しかし小磯が1950年代を通じて、「働く人」をテーマに制作をつづけたことを考えると、本作以後の主題設定には、より積極的な理由があったと考えるべきだろう。小磯による「働く人」主題の絵画〔表1〕を見ると、その内容にも変化があることが分かる。《働く人と家族》(1955年 兵庫県立美術館所蔵)について、小磯は「建築作業場の男と家族のつもり」(注19)であることを明らかにしている。また、《家族》(1958年 小磯記念美術館所蔵)や《働く人》(1959年 同)ではヘルメットやツルハシ、シャベルが描かれるようになる。《働く人びと》のユートピア的な世界観から、より現実的な労働が想定されるようになっていくのである。この背景として、1950年代の日本の美術界において「働く人」が主題となった作品が多数発表されていることに注目すべきである。小磯とともに従軍経験がある宮本三郎も、この頃「働く人」を描いている。たとえば旧・石川県繊維会館壁画《産業と文化》(1954年)では、小磯の《働く人びと》に見られるような簡素な衣服をまとった女性たちが浅い空間に並んでいる様子が描かれている。また昭和27年(1957)の二紀会には《農夫》〔図12〕や《薪を運ぶ人》(いずれも世田谷美術館所蔵)が発表された。偶然であろうが、《農夫》には小磯が描いたものと同種と思われる赤皮のかぼちゃが描かれる。これらの作品の、抽象性の高い背景の処理と奥行きの無い空間表現は、小磯が昭和29年(1959)に発表した《働く人々》(小磯記念美術館所蔵)に通じる。猪熊や宮本といった小磯と近い年代の画家たちが、この時期に特に「働く人」を描いていたことは注目される。新制作協会においては、昭和26年(1951)に創造美術が合流して日本画部が設けられた。井須圭太郎がその類似を示唆しているように(注20)、日本画家の朝倉摂が昭和27年(1952)の第16回新制作展に発表した《働く人》〔図13〕(山口県立美術館所蔵)は建設現場を背景に群像が描かれ、子供を抱えた母親らしき人物や、吊るされたやかんが表される。本作は、日本画の新しい表現として注目され、当時の美術雑誌に図版入りで何度か紹介された。朝倉は以後も社会派の作品を手掛ける時期があり、昭和31年(1956)には中谷泰や佐藤忠良らと福島の常磐炭田を訪れて同地で働く人の姿を描いている。これは地元の画家・若松光一郎が仲介したものであり、この時期の新制作展には、労働者を描いた若松の作品もしばしば展示された。朝倉や若松らの作品から小磯へ直接の影響があったとは言えず、彼らの作品に見ら― 277 ―― 277 ―

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