注⑴ 岡崎忠「働く人々」『木』18号 梅田画廊 1984年1月 20頁⑵ 昭和22(1947)年就任。行史編纂委員『神戸銀行小史』1956年 72頁⑶ あとがきには小磯への謝辞がある。青木重雄「小磯良平」『小磯良平画集』小磯良平画集刊行会 1964年 頁数記載なし きおこしを特別展「竹中郁と小磯良平」展覧会図録 小磯記念美術館 2022年に掲載。⑸ 『第17回新制作協会展パンフレット』新制作協会1953年 9頁(新制作協会事務局所蔵)⑹ 小磯良平から猪熊弦一郎への手紙 1946年6月23日付 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館所蔵⑺ 辻智美「小磯良平における群像表現の探究と成果《働く人びと》(1953)に至るまで」『神戸市⑷ 竹中郁の講演「小磯良平作品茶ばなし」(1980年4月、音声データを広島県立美術館所蔵)。書れるリアリスムは小磯の作品には強く表れない。しかし「働く人」が今描くべき絵画のモチーフとして認識されていたことは、考慮しなければならない。小磯が「働く人」を継続して描いた動機について、山野英嗣は1950年に小磯が新居浜を訪れて同地の画家らと交流したことを挙げ、「当時、なお採掘が続けられていた別子銅山における「労働」を目の当たりにすることによって、その「労働」へのオマージュを造形化したように思えてならない」(注21)と述べているが、「労働」へのオマージュは当時拡く芸術家たちをとらえた主題であったのである。最後に本稿では小磯良平の《働く人びと》について、その基礎的な情報から確認することで、制作経緯や加筆箇所を明らかにした。また、先行研究を踏まえて図像の参照元を確認することで、小磯にとって本作は西洋絵画の伝統を様々な時代から探究し、同時代性を加味した意欲作であったことを指摘した。しかし同時代の批評を確認すると、本作に込められた小磯の革新性が当時理解されなかったことが分かった。そうであればこそ、本作以後も小磯は表現に変更を加えながら「働く人」という主題を描きつづけたのではないだろうか。1950年代、「働く人」は絵画の主題として拡く取り上げられたものだった。《働く人びと》を始めとする小磯の一連の「働く人」作品は、色調を抑えた穏やかな印象のために看過されがちだが、小磯の絵画が社会や同時代の美術とのかかわりをより強く持った特筆すべき作品群なのである。本稿の執筆にあたり多大なご協力をいただきました小磯美術クラブ、宮本美音子様、新制作協会事務局 峠祐子様、世田谷美術館 加藤絢様、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 古野華奈子様、吉澤博之様に記してお礼申し上げます。― 278 ―― 278 ―
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