鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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な絵解きであるところに、共通点がある」(注5)と述べる3点のうち、易を図式化することに最も力点が置かれたのは《周易解理図(八卦)》〔図3〕である。画面右上、ゲーテの色彩論の影響を示すカラフルな八卦は、それぞれが相関関係にあることを示すゆるやかな曲線で結ばれている。注目すべきは乾と坤、つまり天と地を表す二つの最も重要な卦の間に示された八卦の図「文王八卦次序」である。『易経集註』に掲載されたその図は、油絵の具によって再現されたものではなく、該当部分を記録した印画紙の糊付けである。同じく、画面左下に糊付けされたのもまた、「伏羲八卦方位」と「文王八卦方位」という『易経集註』に掲載された二つの配列図の写真である。物質としての違和感を放ってはいるものの、コラージュの実験というよりは、作者の意図を示すための合理的な手段として写真が用いられている。陰陽の循環を図式化した本作にあって奇妙な存在感を放っているのが、画面中央に描かれた方位磁石である。これは単なるデザインでも異質なものの「偶然の出会い」でもなく、絵画そのものの方位を示すための重要なモチーフである。方位磁石は作品の下/地が北を指す。そして貼付された周の文王の「八卦方位」(後天図)もまた下方部が北に、八卦を創始した古帝王・伏羲の「八卦方位」(先天図)は坤/地になる。世界の在り様を画布の中に凝縮して表した本作は、複雑に絡み合う現実社会の規則性を見るための「図式」であり、情緒や偶然性、非合理性から距離を置こうとする北脇の意志の表れでもある。一方で、「新な領域を開拓」せんとする意欲は、新体制に挑む画家としての煩悶を包含するものでもあった。美術にも強力な国防国家体制が要望されるのは、全国民の一億一心の一環として美術の一億一心をも期待するところにあると思ふ。この意味から云つて今日の展覧会中心の美術団体と云ふものは根本的に駄目なのではあるまいかと思ふ。と云ふのは今日の展覧会構成は個人単位の競技精神にその基礎を置いてゐる。従つてこれは如何に集団化して行つても「小我」の集合であつて「大我」にはなり得ないものである。画壇と云はれるものは謂はばそう云ふものの恐る可き累積だと見れば間違ひない。(注6)展覧会や画壇の「小我」、つまり個人主義的な傾向に対する批判が露骨に語られる。つまり、北脇による「新な領域の開拓」としての「図式」絵画とは、前衛画家としての新しい絵画の模索であると同時に、新体制に挑む「国民」としての覚悟を示すもの― 285 ―― 285 ―

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