鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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堂院、朱雀門と羅城門を南北に結ぶ朱雀大路の左右に付された赤い四角形はそれぞれ東寺と西寺を表している。右京の低湿な土地の悪条件により左京へと都市域を拡大した先にあるのが、院政期の京都を示す上から2番目の図である。鴨川東側に描かれた6つの四角形が天皇家の御願寺の六勝寺、その南側にある黄色の円形は平家の拠点である六波羅を指す。続けて上から3番目の図は室町時代、4番目の図は安土桃山から江戸時代にかけての京都を示している。総構えが縮小した室町時代の京都において、内裏近くに建てられた将軍邸とその周りを囲むのは京都五山と南禅寺である。御土居に囲まれた安土桃山時代の京都の南には伏見城があり、その中心には江戸時代に築城された二条城がある。寺院/卍を四角形、政治の中枢/城を三角形、そして天皇の御所/雲を円形で図式化した北脇の意図は、鴨川を中心に連綿と続く天皇を中心とする京都の「歴史」を繋ぐことにあるのだろう。当然ながら図の中に「鎌倉」は存在せず、「平安京変遷図」/鴨川を囲む他4作品の中にもまた、鎌倉時代を描いたものは存在しない。タイトルもテーマも、そしてキャンバスの配置もすべて「千載の皇都」(注10)としての京都/鴨川/天皇を中心に組み立てられている点に、企画者・北脇が本作に込めた意図を見る。共同制作を通して浮かび上がる歴史と文化を一つの作品として提示した本作は、個人が集まることで普遍的ものを導こうとする、北脇の思想の表れでもある。だが、「35ページに及ぶ綿密な研究ノートを残している」(注11)という意欲的な北脇の一方で、「藤原時代」を担当した小牧は本作に不満を覚えていた。小牧は自身の制作ノートに次のように記載している。課題制作、共同制作其ノ事ニ関シテハ芸術上色々困難ナ問題ガアリ特ニ此処デ試ミタ試作ニ於イテ考エテ見テモ芸術良心的ニ十全ヲ期スル事ハ困難デアル。時間的ニ早ク仕上ゲル事ヲ意図シタノデ表現ニ充分力ヲ用イズ、一応的ナ仕上ゲデケリヲツケタ。余ノ絵画芸術ニ於ケル原理的諸命題ヲ徹底的ニ追求スル事ガ余ノ許容スル芸術トシテノ絵画デアルガ此レハ其ノ意味ニ於イテ価値ヲ付与スル事ノ出来ナイ、謂ハバ副次的所産デアル。(注12)中央に平等院鳳凰堂の本尊である阿弥陀如来像を、光背に法勝寺の瓦や『往生要集』、《高尾曼荼羅》や《平家納経》などを構成した「藤原時代」は、いずれも由緒正しきもののパッチワークといった感が否めない。では小牧の言う「余ノ許容スル芸術― 287 ―― 287 ―

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