鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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注⑴ 『美術文化』創刊号、1939年8月、11頁。⑵ 大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド』国書刊行会、2016年、291頁。⑶ 北脇昇「相称と非相称」、『美術文化』創刊号、1939年8月、8頁。⑷ 同上、9頁。⑸ 中村義一『日本の前衛絵画 その反抗と挫折─Kの場合』美術出版社、1968年、164頁。⑹ 北脇昇「美術新体制の具体的形態」、『美術世界』46号、1941年6月、17頁。⑺ 小牧源太郎「美術家放談」、『経済ジャーナル』1976年10月、39頁。⑻ 小牧源太郎「昭和十年代の思い出」、『京都市美術館ニュース』97号、1975年9月、1頁。⑼ 大谷省吾「2つの共同制作《浦島物語》と《鴨川風土記序説》について」、『さまよえる絵筆』⑽ 「日本文化と京都」展(1940年10月5日~22日、大礼記念京都美術館)に際して刊行された目録の「はしがき」より(『紀元二千六百年奉祝「日本文化と京都」大展観目録』京都市史編纂事務局、1940年、1頁)。⑾ 大谷省吾、前掲、『さまよえる絵筆』。⑿ 小牧源太郎『絵画諸論』1939年~、市立伊丹市ミュージアム蔵。⒀ 「福沢一郎が推す小牧源太郎」、『芸術新潮』368号、1980年8月、26頁。⒁ 小牧源太郎、前掲、『絵画諸論』。⒂ 前掲、『絵画諸論』。⒃ 小牧源太郎「正と負の系譜」、『美術ジャーナル』39号、1963年4月、43頁。⒄ 小牧源太郎、前掲、『絵画諸論』。⒅ 小牧源太郎のスクラップブック(市立伊丹ミュージアム蔵)に貼付された「規約草案」より。図版出典図版は『北脇昇展』(東京国立近代美術館・京都国立近代美術館・愛知県美術館、1997年)〔図3、4〕及び『小牧源太郎・シュルレアリスムの実証《貌》』(講談社、1987年)〔図5〕より転載した。し続けてきた北脇の一貫した制作方法と思想の表れであると同時に、「大我」を是とする戦時体制下における北脇の姿を映し出す鏡でもある。北脇と、「余ノ哲学観念タル造型人間学ノ諸原理ヲカゝル外皮ノモトニ於イテ表現スル事ガ真ノ意図」とする「仏画的」絵画を描き続けた小牧との間には明確な差異がある。「相称と非相称は対立的であるよりも相補的であること」 とする北脇と、「あれか、これか」ではなくて「あれも、これも」の矛盾原則の非合理性を求めた小牧という矛盾する二つの個性は、融合するのでもなく対立するのでもなく、違いを維持したまま互いを認めた。異なる二人による紛れもない「戦争画」とその軌跡をたどることは、「前衛画家」としての挫折の過程を凝視することであると同時に、困難な時代状況と対峙することで導かれた絵画の可能性を確認することでもあるだろう。みすず書房、2021年、161頁。― 290 ―― 290 ―

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