鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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1.宣教美術とその背景 ─中国カトリック美術とチェルソ・コスタンティーニと陳路加中国では、明代からマテオ・リッチらによってカトリックが布教され、イエズス会の適応主義のもとでカトリックの中国文化への適応が進められてきた歴史があるが、近代になってカトリックの中国化で重要な役割を果たしたのが、イタリア人の大司教(後に枢機卿)のチェルソ・コスタンティーニ(1876~1958)である。彼は、もともと美術に造詣が深く、教皇使節(1922~1933)として中国へ赴任中、キリスト教美術の中国化に取り組んだ。彼は、帰国後は布教聖省での要職に就き、中国での経験をもとに宣教における美術の有用性を説き、宣教美術の普及に努めた。コスタンティーニは、カトリックが中国で受け入れられるためには、外国の宗教であるというイメージを払拭することが必要であり、西洋式ではなく現地の人にとってなじみのある建築や美術を採用すべきだとし、現地の様式によってこそ、宗教美術に必要な威厳や荘厳さを感じさせることができると考えた(注2)。コスタンティーニと、彼に見いだされた画家の陳路加(1902~1967)が中国における宣教美術の中心的な人物である。コスタンティーニは、当初は中国様式によるキリスト教建築の普及に取り組んでいたが、1928年、ある展覧会で画家の陳縁督(後の陳路加)の作品に感銘を受けたことをきっかけに、陳に聖書やキリスト教絵画の手本を提供し、キリスト教主題を描くよう依頼した。陳は、本名は陳煦で、陳縁督や陳梅湖の号を名乗っていたが、1932年に洗礼を受け、画家の守護聖人であるルカにちなんだ洗礼名を授かると、路加を名乗るようになった。西洋では、ルカ・チェンの名で知られる。こうして描かれた作品には、中国の古典的な風景の中に中国の服装をした聖母子が描かれているものが多くみられる〔図1〕。1930年に輔仁大学(北京カトリック大学)に美術科ができると、陳はそこで教鞭をとった。輔仁大学の美術科は、中国のカトリック美術の中心になり、陳のほか、王粛達(1911~1962)、陸鴻年(1914~1989)、徐濟華(1912~1937)らの画家たちが活動した。彼らは元はカトリックではなかったが、コスタンティーニの働きかけによってカトリック絵画を描く中でカトリックへ改宗した者たちである。そのほか、ベルギー人淳心会士ヴァン・ゲネヒテンのように中国画でカトリック主題を描く西洋人宣教師もいた。輔仁大学の美術科では、1936年より毎年美術展を開催したほか、1935年には上海のカトリック・アクション全国大会での展覧会、1937年にはマニラ万国聖体大会、1938年にはブダペスト万国聖体大会への出展など、国内外での展示に精力的に活動した。― 294 ―― 294 ―

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