人の殉教場面が、主祭壇上部の半ドームには支倉常長や教会ゆかりの聖人たちに囲まれた聖母子が描かれている〔図3〕。さらに、左右の側廊に並ぶ六つの小祭壇の壁画も制作した。ここでは、中央の聖母子に注目してみたい〔図4〕。濃い青を背景に畳の上に立つ聖母は、丸い紋章の文様の入った青い小袖に細い帯を締め、白い被衣を被った桃山時代の服装である。腕に抱く幼子イエスは、白地に金の文様の入った小袖に赤い袴を着け、手には白い鳥を持っている。母子ともに黒い髪の日本人の容貌である。1954年10月10日、主祭壇と半ドームの壁画完成の献納式で、コスタンティーニ枢機卿は次のように述べた。「4世紀前、宣教師たちは福音の光をもたらすために日本へ行きました。今日、その芸術の素晴らしさを携えて、殉教者たちの栄光を称えるためにヨーロッパへとやって来るのは日本のほうです」(注9)。本作品は、長谷川の画業にとって、フレスコ画と日本画という東西の絵画技法の技量を遺憾なく発揮し、キリスト教美術の伝統あるイタリアの地に制作した大作であると同時に、コスタンティーニにとっては自身の推進した宣教美術のひとつの理想のかたちをそこに見ていたといえよう。2-3.小関きみ子小関きみ子(注10)は1903年、仙台に生まれ、女子美術大学日本画部で学んだ。在学中の23年、カトリックの洗礼を受け、マリア・テレジア(テレサ)の洗礼名を授かり、これが後に海外でテレサ・コセキとして知られる由来になる。卒業後は、川崎小虎に師事し、1928年の第九回帝展に初入選、以後、帝展や日展での入選を重ねる。1930年からは、カトリック美術協会の会員となり、同展への出展を続けた。東北の農村の女性や子供の姿を繰り返し描いたほか、好きだった猫を題材にした作品なども残している。宮城県美術館に6点、女子美術大学美術館に2点の収蔵作品があるが、初期の帝展作を含む作品の多くは海外に渡っている。小関は、第一回カトリック美術協会展に出展した《ベトレヘム》、《北国のクリスマス》など、故郷東北の暮らしとキリスト教主題を結び付けた作品を多く描いた。そのほか、十二単をまとった平安朝風の聖母子も描いており、例えば、1939年にローマで開かれた万国カトリック女子青年大会において、参加各国が自国の特色を盛り込んだ聖母子像を献呈した際に、日本からローマへと送られた作品がある。1950年のバチカンの聖年の宣教美術展で小関の作品は多く展示されており、同展目録には12点の題名が確認できる(注11)。その中の《クリスマス》〔図5〕は、二曲一― 297 ―― 297 ―
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