隻の屏風に、キリスト降誕の場面が描かれている。むしろが敷かれた日本家屋の中で、和装のマリアが幼子イエスを産湯に入れており、その周りでは同じく日本人の姿のヨセフ、女性と少年と少女が見守っている。脇には馬の姿や農具も見え、背後の窓の外には雪景色が広がっている。むしろの上には、郷土玩具や籠に入った林檎も置かれている。人物たちの目線は中央のイエスに注がれ、質素だが親密さを感じさせる画面となっている。小関は同様の作品を多数手がけており、その中の一点が、1964年、バチカンのクリスマス切手に採用された〔図6〕。なお、1961年から65年にかけてのバチカンのクリスマス切手には、世界各地の様式による降誕図が毎年採用されており、61年が中国(陳路加)、続いてインド、ブルンジ、小関の翌年の65年はペルーの作品であった。1975年、バチカン有功十字勲章を授与された。なお、作品は初期から多くヨーロッパに渡っていたものの、自身は亡くなる前々年の1982年に渡欧を果たし、バチカンで教皇に謁見したほか、ローマ、フランスを訪問している。以上のような長谷川と小関の作品にみられる日本的な聖母像の日本的要素の表現は多様である。和装の時代や階層の設定は多岐に渡り、長谷川、小関ともに描いている平安朝の貴人を思わせる十二単のほか、長谷川のチヴィタヴェッキアの壁画では桃山時代の小袖、小関の多くの作品に特徴的なのは東北の農村女性の姿である。このように、日本的なイメージとしての和装であるが、作品によって選択され描き分けられていることがわかる。3.宣教美術を介したつながり─中国、日本、フィリピン宣教美術をめぐっては、アジア各国のカトリック美術家とヨーロッパとの関係だけでなく、アジア間のつながりも存在した。中国のカトリック美術は、印刷された聖画が司祭から送られるなどして日本にも紹介されていた。『カトリック画報』1938年7月号では、中国の聖画が特集され、陳路加、王粛達、陸鴻年、徐濟華の作品が掲載され、長谷川路可がコメントを寄せている。彼は、「何れも現代支那の美術界の技巧を想像せしむるに足る立派な仕事で僕は凝視して、讃嘆した」とした上で、古臭さを感じる部分もあるとしながらも、「立派な傳統の上に立つて、西洋畫によつて傳えられたる宗教的畫モチーフ因をよくも自分たちの畫風に熟し得たものだと思はれる程、巧な筆法と構圖であつた」と称賛している。さらに、「友邦であるお隣りの支那に、一つの聲えを聴く同じ神の子が同じく藝術の道によつ― 298 ―― 298 ―
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