鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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カトリック美術協会の木村太郎が1943年に述べるところによると、明治以降ほとんど西欧様式の直輸入であった日本のカトリック美術において、近年ようやく日本独自の様式によるものが見られるようになったとし、日本のカトリック美術には「ジャパニーズ・スタイル」と「ユーロピアン・スタイル」のふたつの潮流があるとしたうえで、前者の代表として長谷川路可、岡山聖虚、小関きみ子を挙げている。そして小関について、「北日本の素樸なローカル・カラーによつて描いた日本風俗の聖誕、聖母子、聖家族等は、カードにも印刷されて、廣く海外に持てはやされた」と海外での評価を特筆している(注16)。しかし、木村は別稿で小関の作品について「孰れも地方色の濃い作品で、特に歐米人の興味を惹いたが、これが果して聖畫として通用するか否かについては十分の検討を要しよう」とその評価には慎重である(注17)。こうした国内外での評価の違いについては、小関自身も認識しており、はじめて日本風の降誕を描いた1930年前後のことを回想し、「神父様から非難されたり、又一方では外国で非常によろこばれるので驚いたりした」と述べている(注18)。一方、小関は自らの作品についてどのように考えていたのであろうか。小関は次のように記している。「仙台で生まれた私の中には、切ってもきれない東北の風土とのつながりがあると思いますので、それらの風俗をつかって、無限につながる魂の故郷を現ママわそうと常々考えておりましたので、それに愛するわが宗教とをむすびつけますことは、私にとって当然のことでございました。[中略]それが外国のお方からみますと、民俗的な感じに受けいれられるのだと存じております」(注19)。ここからは、自らの故郷と信仰とを結びつけるのは自然なことであり、そのことが外国でも共感を生んでいると受け止めていることがわかる。しかし、小関の心情に関しては次のような指摘もある。「戦後、自分の生活のためにジャパンスタイル(自称)の聖家族を外人の神父に乞われるままに画きました。これがクリスマスカード、聖画としてもてはやされ、宣教師たちは大量に買い、祖国に持ち帰り、また国内の廃墟となった教会復興の募金に大いに役立ちました。しかし彼女の芸術的良心を苦しめました」(注20)。この「芸術的良心」が具体的に指すところは定かではないが、外国でもてはやされることへの複雑な思いがうかがわれる。このように、宣教美術の文脈では評価された日本的な聖母子であるが、日本での評価と外国での評価のはざまにおかれていたことがいえる。こうした評価の違いが何に由来するのか、日本的要素をめぐるまなざしについて今後更なる検討が必要であろう。― 300 ―― 300 ―

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