㉙ アレクサンドル・ファルギエール(1831-1900)の造形観研 究 者:パリ・ナンテール大学 ED395 博士課程 請 田 義 人先行研究と本論のねらい彫刻家アレクサンドル・ファルギエール(1831-1900)は、パリのエコール・デ・ボザールに学び、1859年にローマ賞受賞、1882年には母校の教授と同時に美術アカデミーの会員にもなった、とりわけ第三共和制期のアカデミスムを代表する芸術家である。絵画制作も並行して行いつつ、多数の公的なモニュメントの注文を受け、後進も育成するなど、その名声は19世紀末のフランスにおいては揺るぎないものであった。しかし、アカデミスムの領袖のひとりであったという、いわば「後衛」の立場ゆえに、現在彼の作品が美術史的に十分に正当な評価を受けているとは言えない。ファルギエールの故郷、トゥールーズで開催された1991年の展覧会カタログにおいて、ドニ・ミヨーは次のように述べている。「カルポーの四歳下で、ドガには三歳、ロダンには九歳年長であったファルギエールは、時代の変遷にのまれ、こうした同時代の導き手となる人物たちの影に隠れた、犠牲者のような側面が多少あった(注1)。」近代美術史研究におけるアカデミスムの復権以降、画家シャルル・グレールや彫刻家ジャン=レオン・ジェロームなど個別の作家にもまた焦点が当てられ、展覧会などが開催されてきている(注2)。ファルギエールに関しても、まずアンヌ・パンジョーが1950年にパリ、そしてフランス各地の美術館へと受け入れがなされた25作品についてまとめている(注3)。その後、記念碑的な展覧会「19世紀彫刻」展(1986)においては、アカデミックな教育過程やモニュメント、そしてとりわけ《踊り子》に代表される「型取り」の利用など、いくつかの章立てのなかでファルギエールの名前が言及されている(注4)。2000年代に入ると、この「型取り」の問題はさらに注目されるようになり、オルセー美術館における「19世紀における人体からの型取り」展(2001)や、近年ではジャン=フランソワ・コルパトーの議論において、ファルギエールの作品が取り上げられてきた(注5)。一方、ファルギエールを単独で扱った論としては、2020年と2021年にマルゴー・ウィンブスがエコール・デュ・ルーヴルの修士論文を執筆しており(注6)、ようやくこの彫刻家を再評価する機運が形成されてきた。とりわけウィンブスは、この彫刻家についての基礎的な情報を提供しつつ、「自然」や「動勢」などといった、本研究にも関わるような彼の制作における基本原理をコンパクトに説明している。以上をふまえたうえで、本論ではファルギエールの制作を2つの「脱ヒエラルキー― 306 ―― 306 ―
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