鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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パリでは当時、プラディエの学生たちがサロンであらゆる賞を勝ち取り、リュードの学生たちにはその扉は閉ざされていた。プラディエ自身は、女性の肉体の優美さや魅力に自信ありげではあったが、それでもやはりカノーヴァの弟子のままであった。そのカノーヴァは次のように語っている。「自然に仕えなさい、そして古代によってそれを直すのです。」一方、カルポーはリュードの助言を思い起こしながら私にこう繰り返していました。「古代に囚われてしまうと、自分の仕事が味気のないものとなってしまうよ。君が表現したいと思う感情にぴったりとくる個性を持った手本を選んで、それを徹底的に模倣するんだ。他のことに気を取られることなく。」(注14)ウィンブスも議論しているように、「生」や「自然」はファルギエールが一貫して主張したものであるが、ここには常に古典主義との対比があった(注15)。紙幅の関係上、本研究では「生」、「自然」、「動勢」、のそれぞれの同時代的な美学的定義を詳らかにすることはできないが、以下手短にその同時代的な位置づけと各タームの関係性だけは確認しておこう。「自然」については、例えば同時代の作家・批評家エミール・ゾラが、とりわけ有名なエドゥアール・マネ論において、マネの制作は「自然を他人の作品や意見の中で見るのではなく、あるがままに見ようと試みること」と述べている(注16)。また他の批評家は、例えば第三共和制期の画家、エドゥアール=ジョゼフ・ダンタンについて、「彼は巨匠たちに敬意を抱いていたので、美術学校の伝統に付き従うことから始めたが、続いて自らの技巧に確信を持つや、もはや自然しか見ることはなかった。」(注17)と述べており、以上からアカデミックな規範とは対照的なものとして、自然が対置され、これを追求することが絵画の現代性につながるという図式が理解できる。このような文脈のなかで、ゾラの「生」の概念はより大きな規模で展開していく(注18)。一方、先のラルメの批評(注19)にもあるように、動勢と生は併置されて用いられていたタームであった。これらは古典化、形式化されない表現について用いられている。生前からファルギエールと交流があり、その没後には追悼記事を兼ねていくつかの記事を寄稿しているレオンス・ベネディットは、次のようにこの彫刻家の本質を記述している。「彼[ファルギエール]には、生を表現するという、類いまれで、力強い才能があった(注20)。」ファルギエールもまた、自身が感銘をうけた光景を見ながら、「過去の歴史も裸体画習作も全部やめだよ!ほら、あれが生だよ!これこそ、僕が制作しないといけないものだったんだ!」と叫んだという(注21)。これらの引― 309 ―― 309 ―

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