鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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1841年から46年にかけてローマのフランス・アカデミーの館長であったジャン=ヴィクトール・シュネッツ(1787-1870)の古典性、すなわち様式を重んじる態度に対して、この引用からはファルギエールが、それとは反対の「動き」や「生」を追求しようとしていたことが早くも見てとれる。しかし、これに続くカルポーの助言は次のようなものであった。「君はいわゆる形の高貴さと呼ばれるものを追求するのにとらわれすぎていて、それがもっている性格については不十分だよ。これではトルヴァルセンをすることになってしまう。」そしてファルギエール自身、「たしかに私は、ジュフロワのもとやボナパルト通りの学校でうけた教育から解放されるのに、すこし困難を感じていた」と述べるのである(注25)。このような古典性と自然の二項対立は、彼のキャリア全体を通して、克服されるものというよりはむしろ、ひとつの通奏低音のようなものとなる。著名な批評家であるギュスターヴ・ジェフロワは、ファルギエールの初期作品について、古代というフィルターを通すことによって「自然」へと至る手法を見てとっている。とりわけそれは、最初期の2作品、《闘鶏の勝者》(1864)〔図1〕と《タルチシウス、キリスト教の殉教者》(1867)〔図2〕を出発点としていると述べる。「これらは[アカデミックな]流派の作品ではあるが、しかしそれでもただ自然だけがもたらすことのできる、自由の感覚によって生き生きとしているのである(注26)。」そのうちの一点、ファルギエールの出世作とでもいうべき《闘鶏の勝者》〔図1〕については、「裸体を表すことを可能にしながら、その当時の感性を表明する(注27)」ような先行作例として、フランシスク・デュレの《タランテラを踊る漁師の少年》、フランソワ・リュードの《ナポリの漁師の少年》、カルポーの《貝殻をもつ若い漁師》などが挙げられている。加えて、ジャン=レオン・ジェロームの《闘鶏をする若きギリシャ人たち》についても、すでに当時より批評家ギュスターヴ・ラルメが、「古代と生についての[ファルギエールと]共通する感覚」を有していると述べており、その流れのなかで、《闘鶏の勝者》は「自然の細心な観察と様式」という二つの長所がうまく組み合わさっていると評している(注28)。自然の観察とは、実際のモデルから捉えられたリアリズムであり、様式とは、まさに過去の造形であろう。古典性とリアリズムの混淆のなかで、ファルギエールのこの初期作が理解されていたことがわかる。では、このように評されるファルギエールの古代と現代のあいだのゆれ動きは、《闘鶏の勝者》において、実際のところ造形にどのように反映されているのだろうか(注29)。すでに当時より、そのポーズはジャンボローニャの《メルクリウス》〔図3〕を― 311 ―― 311 ―

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