鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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 「ああ!そんなことは思いもよらなかったよ。私は自分の苦しみのなかにあって、それを夢中になって表現しようとしか考えていませんでした。しかし、批評家たちはいつも、自らの知識を見せびらかすことに腐心していて、私たちの作品がどのように生まれたか私たち以上に知ろうとします。しかし、うぬぼれではないですが、私は自分の作品が聖チェチリアより良いものであると思っています。…」(注34)「苦しみ」とは、アカデミックな慣習などを「忌まわしい」ものに感じながらも、自らの制作に行き詰まっていた状況を指す。その時、眠れぬ夜にふと開いた『ファビオラ』に、このタルチシウスの話を見つけたという。古代ローマの殉教者伝をあつかった『ファビオラ』は、しかし同時代的に流行したニコラ・ワイズマン枢機卿(1802-1865)による物語であり、例えば『黄金伝説』のような、古くから知られ、作品の題材として扱われてきた文献ではない。ここにもまた、古代と同時代性の奇妙な混淆が見受けられるのである。そのうえでファルギエールは、《チェチリア》と《タルチシウス》の類縁性を指摘されることが「思いもよらなかった」と述べながら、前者が念頭にあったことを明確に否定しているわけではない。タルチシウスの像が「チェチリアよりよいものであると思っている」という表現は、《チェチリア》を意識しているがゆえであろう。これまで明確に触れられてはいないが、実際、横臥するタルチシウスの腰から下の両脚の構成、特に左足の下に隠れるようにして後方に出る右足の描写や、腰から両足の間を挟まれるようにして流れる衣紋は、明らかにチェチリア像に類似するものである(注35)。この作品の最も特徴的な描写、すなわち胸の前で掌中に抱かれた聖体を正面に見せるべく、上半身は持ち上げられ、少年は殉教の際の一種の恍惚の表情を浮かべている。殉教者像は当時、蠟製像などの形式で、教会などにおいて実際に崇敬の対象として流行していたが、ファルギエールの《タルチシウス》はそれをサロンという空間で展示し、最終的には大理石像として仕上げている。この作品においてもまた、主題、そして造形の面において、過去の芸術を範としながらも、新しい感覚をもたらすべく採られたファルギエールの試みを見てとれるのだ。ファルギエールの初期作品をもとに分析を行ってきたが、最後に、彼がヴィラ・メディチでの滞在の課題作品として送った二点の作品、《トラステヴェレのヌッチア》と《オンファレ》(どちらも1866)を確認していこう(注36)。この二作品もまた、対照的な性格を意図的に付与されたものである。ブロンズに鋳造された《ヌッチア》は、パリのかつての逓信省の中庭に設置されていたようであるが、現在は所蔵が明ら― 313 ―― 313 ―

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