かではなく、また《オンファレ》は大理石像がオルセーに所蔵されているが、長年の屋外展示による状態の劣化から公開されていない。《ヌッチア》については、先述したように『19世紀フランス彫刻』展においてその世俗的な表現が批判を浴びたことが紹介されているが(注37)、それ以上の詳しい言及はない。ファルギエールはまず、《ヌッチア》の作品の制作から取りかかったようである。私は夜はめったにアカデミーで食べることはありませんでした。日が暮れると、トラステヴェレの職人たちや美しい娘たちで賑わっている食堂へ向かうのです。そこでは若者たちはおしゃべりをしたり、はつらつとした身振りや鷹揚なしぐさで言い争ったりしていて、そのような彼らを驚きをもって眺めることができたのです(注38)。トラステヴェレはローマのテベレ川左岸の地域であり、この活気ある地域では当時の記録からも「古代ローマ人の純粋な子孫たち(注39)」を目にすることができた場所だという。トラステヴェレの風俗や装束などへの興味から、当時さまざまなかたちで表象されていたこの地域の住人たちは(注40)、先のファルギエールの引用からもわかるように、一種の「オリエンタリスム」的な興味からとらえられていた。2点の作品の対照的な性格は、当時の資料からも確認することができる。1865年のA. J. デュ・ペイによる『イリュストラシオン』誌の記事では、《オンファレ》の肉づけの優美さを称賛する一方で、《ヌッチア》の表現の非俗さを手厳しく批判している(注41)。この批評に掲載された挿絵においてもまた、2作品はシンメトリーに配置されていることが確認できる〔図6〕。古代ギリシャの女傑を表した《オンファレ》は、裸体像で、コントラポストのポーズをとりながらも、上半身を左へ捻って後方を向いている。このポーズは従来のオンファレの図像的伝統にはなく、それとは異なる、古代彫刻の《アフロディテ・カリピュゴス》〔図7〕からとられていることがわかる。オンファレ像はその背後から見ると、このウェヌス像のように臀部はまったくのあらわになっていることがわかる〔図8、9〕。ただ、ファルギエールによる図像の引用は、ここでもまた微妙な改変を加えられている。二つの像は、その体を捻る方向は反対となっており(同様の傾向は《闘鶏の勝者》でも見られたものである)、アフロディテ像は左手でヴェールをかかげて持つ一方、オンファレは彼女のアトリビュートであるヘラクレスの棍棒を右手で持ち、右肘を水平にまで上げてこれを背中で支えている。またオンファレの左腕は、彼女の性格を表すかのようにより威厳のあるポーズで、肘― 314 ―― 314 ―
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