鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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③ 「マネとポスト印象主義の画家」展再構成の試み─1910年代の英国におけるフランス近代美術の受容─序研 究 者:三菱一号館美術館 主任学芸員  加 藤 明 子1910年秋、ロジャー・フライ(Roger Fry, 1866-1934)はロンドンで「マネとポスト印象主義の画家(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■)」展を開催し、印象主義以降に台頭した最新のフランス美術を大々的に紹介した。これを機に、フライは英国の若手芸術家の主張を代弁し、かれらの制作意欲を鼓舞する存在となる。本研究は、20世紀初頭の英国におけるフランス近代美術の受容の経緯を跡づけ、その影響下で「ブルームズベリー・グループ」(注1)が展開した芸術実践の独自性について考察する。本稿では、「マネとポスト印象主義の画家」展の出品目録、作品の来歴と展覧会歴、同時代の展覧会評、関係者の発言や回顧録を精査することによって、その展示内容を解き明かし、1910年代の英国で多様な前衛的表現が試みられる契機となった同展の全容を浮かび上がらせたい。1.ポスト印象主義展の概要1-1.1910年の衝撃フライの回顧によれば、1910年当時の英国は、「[欧州大陸から]20年もの遅れをとって、[中略]印象主義という動きを認識しはじめた」(注2)段階にあった。すなわち、英国における印象主義の受容は、1890年前後から始まり、デュラン=リュエル画廊による1905年1月の印象派展で加速して、1910年夏のブライトンの「現代フランス美術展」において頂点に達したところであった。この状況下で、グラフトン・ギャラリーで1910年11月8日から翌年1月15日にかけて開かれた「マネとポスト印象主義の画家」展は、約250点からなる最新のフランス美術によって、反印象主義ともいえる動向を英国で初めて紹介する機会となった。セザンヌやファン・ゴッホ、ゴーギャンを「ポスト印象主義」の先駆者として、マティスやピカソなどの前衛をその代表的な芸術家として明確に位置づけた同展は、国内外から大きな反響を呼んだ。とりわけ英国内では「今日ほとんど信じ難いような一般大衆の激しい怒り」(注3)を引き起こし、「フライは物笑いの種にされ、脅迫まがいの手紙が送り付けられたほどであった」(注4)。しかし、その試みを支持する声が次第に高まり、閉幕までに同ギャラリーとしては過去最大の25,000人もの来館者数を記録― 24 ―― 24 ―

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