鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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注⑴ 志賀直邦『民藝の歴史』筑摩書房 2016年5月 64頁。⑵ 拙著『式場隆三郎と民藝運動』(企画展図録)式場隆史 2022年4月。⑶ 式場隆三郎「柳さんのこと」(上)『越後タイムス』1926年6月13日(7面)。前掲注⑵。⑷ 式場が精神運動としての側面を注視していたことは拙稿「式場隆三郎と民藝運動の基礎研究」(『市史研究いちかわ』市川市 第12号 2021年3月)を参照。式場は、1941年に日本民藝館で開催された座談会「宗教と工藝について」で、自身が運動に参加するのは「遊戯的な気持ではありません。医者の方とは離れて居ると思うか知れませんが誠に関係が深い」、「民藝運動が人間を健康にする。さっき河井さんの言われたように乱れた生活を建直すという。ですから私はこういう仕事はやはり一つの社会治療であるということを、これに結びついているうちに体得したのであります」と述べている(『月刊民藝』日本民藝協会 1941年9月号)。⑸ 「アール・ブリュット」とは、フランスの画家であるジャン・デュビュッフェ(1901-1985)が1949年頃に考案した言葉。服部正・藤原貞朗の説明を拝借すると、「古典芸術や流行芸術などの凡作」を模倣する知的な芸術ではなく、「自分自身の衝動のみから始め、あらゆる段階においてすべてを自分自身で再発見した、完全に純粋で生の芸術行為」を指す(注⑻ 服部・藤原著書 149頁)。「アウトサイダー・アート」とはこの英訳語。⑹ 大内郁は、「戦前期日本において先行するヨーロッパの精神医学者たちの取り組みに倣い『精美を否定したのではなく、言葉どおり「異常なもののみに注目し、その特質と考える」こと、すなわち疾患の有無で芸術を判断する価値観の是正と「本然なるものの姿」への着目の呼びかけと仮設を立てたい。おわりに以上、雑駁な報告となったが、式場の「アール・ブリュット/アウトサイダー・アート」の紹介実践は医師であること、そして柳の思想と民藝運動という視点を持ちこむことによって矛盾なく見通せることが明らかとなった。論証が甘い部分、仮説の提示にとどまった部分が多数あるため、今後は一つ一つ論点を明確にして実証的に検討を行うことを課題とし、他の式場の仕事にも敷衍することができればと考えている。謝辞本研究を進めるうえで貴重な式場の書簡の閲覧に際しお世話になりました柳宗直様、日本民藝館学芸員の古屋真弓様、本報告書の執筆に際して多大なるご教示を賜りました札幌芸術の森美術館館長の佐藤幸宏様ならびに関係者の皆様に深く御礼を申し上げます。― 329 ―― 329 ―

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