⑺ 「二笑亭」とは、昭和初期、元足袋職人で地主として生活していた渡辺金蔵(1877-1942)が、統合失調症を患いながら、硯石や篆刻の収集、書道などの美的教養と生花、茶の湯などの趣味的生活で培われた素養を発揮して、約10年にわたって現在の東京都江東区門前仲町に建築を続けた個人宅。『二笑亭綺譚』はこれを精神病理学的に論じたもの。1937年11月・12月号の『中央公論』に発表され、1939年2月に昭森社で単行本化された。式場は1928年頃からファン・ゴッホの精神病理学研究に取り組んでおり、1932年に『ファン・ホッホの生涯と精神病』を刊行したことにより、日本におけるゴッホの代表的な研究者の一人となった。式場は「二笑亭綺譚」の執筆をゴッホ研究の延長線上に位置づけている(式場隆三郎「狂人の絵」『文藝春秋』文藝春秋社 1938年4月号)。⑻ 大内郁「日本における1920~30年代のH.プリンツホルン『精神病者の芸術性』の受容についての一考察」『千葉大学人文社会科学研究』第16号 2008年3月。「式場隆三郎と「病的絵画」の終息についての一考察─1930年代末の「前衛性」回避という問題」『カリスタ』第17号 2010年12月。服部正・藤原貞朗『山下清と昭和の美術 「裸の大将」の神話を超えて』名古屋大学出版会 2014年2月 144-161頁。松岡剛「二笑亭からみる式場隆三郎の『病的』、『民芸』的なるもの」『式場隆三郎[脳室反射鏡]展図録』新潟市美術館ほか 2021年。⑼ 前掲注⑻ 服部・藤原著書 147-148頁。⑽ 式場隆三郎「柳さんと民藝館」『アトリエ』第14巻第3号 アトリエ社 1937年3月。⑾ 式場隆三郎『二笑亭綺譚』昭森社 1939年2月 74-75頁。⑿ 式場隆三郎『精神病者の問題』(学芸講演通信社パンフレット)学芸講演通信社 1926年8月。⒀ 柳宗悦「跋」『二笑亭綺譚』昭森社 1939年2月。⒁ 柳宗悦(1944)「民藝運動は何を寄与したか」『柳宗悦全集著作篇第十巻』筑摩書房 1982年8月。⒂ 大沢啓徳『柳宗悦と民藝の哲学─「美の思想家」の軌跡─』ミネルヴァ書房 2018年2月 225-⒃ 柳宗悦「序」式場隆三郎『ファン・ホッホの生涯と精神病』聚楽社 1932年5月。⒄ 前掲注⑻ 服部・藤原著書 153頁。⒅ 式場隆三郎「序」『宿命の芸術』昭和書房 1943年1月。⒆ 式場は、ロートレックの精神病理学研究『ロートレック 生涯と芸術』(二見書房 1942年7月)において刊行の目的を、彼を「不具の天才」とか「奇矯な画家」という簡単なことばで片付けようとする世評の一端を是正し、「稀有な画家の本然の姿」を伝えることと記している。⒇ 前掲注⑻ 大内論文(2010)。神病者の絵画』を蒐集しそれを世に出そうと試みた人物」は式場と精神科医の野村章恒の2名と指摘している(注⑻ 大内論文2010)。242頁。― 330 ―― 330 ―
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