鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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㉛ 近代日本における百貨店美術部の歴史的意義─1909年髙島屋初の私設展覧会「現代名家百幅画会」について─研 究 者:髙島屋史料館 研究員  高 井 多佳子はじめに現在、日本の多くの百貨店には美術画廊が設けられている。そこでは週替わりで、「美術」という言葉で括られる日本画、洋画、彫刻、工芸、茶道具、現代アート…などの展覧会が催され、展示作品は誰でも購入することができる。担当部門は美術部である。明治末から昭和戦前期にかけて、「(官設展に対する)市井展の中で代表格と言えるのが、百貨店美術部の展観であった。とりわけ三越(三越呉服店)と髙島屋(髙島屋呉服店)の展観が際立っていた」といわれる(注1)。近代日本における美術概念の受容、美術と大衆の関係を考察する時、誰もが無料で美術を鑑賞できる場として存在した百貨店美術部の果たした役割を無視することはできない。百貨店美術部の濫觴は三越呉服店が明治40年(1907)9月15日、大阪支店に、12月1日、日本橋本店に創設した新美術部である。これは、同年10月に日本初の官設展として開催された第1回文展(文部省美術展覧会)を意識したものであるということは、先行研究によって明らかにされてきた(注2)。以後、毎年東京で開催された文展出品作は、発表後たちまち新聞・雑誌などで話題となり、それにともない、国内に美術を鑑賞し愛好する人々が増え、世間の美術への関心は急速にたかまっていたのである。髙島屋では、明治42年(1909)に初めての美術展覧会「現代名家百幅画会」(以下、「百幅画会」と称す)を開催した。これは、東西の著名画家100人に新作画を依頼し(絹本尺五〈幅1尺5寸=約45cm〉に統一)、寄せられた100作をすべて同じ表装で100幅の掛軸に仕立て、一堂に展観したものである。寸法・表装ともに揃った100幅もの新作を一挙展観するという新趣向の展覧会はそれまでに無いものであった。当時、京都・大阪・東京の髙島屋各店で開催された「百幅画会」は、それぞれ数日間の会期であったにもかかわらず、新聞各紙はこれを画期的な展覧会であると大きく報道し、出品画の写真や展覧会の批評文を掲載した。百幅画会の好評を受け、同44年(1911)に至り、髙島屋は美術部を創設した。研究の蓄積が進んでいる三越に比べて、髙島屋はその資料の整理状況などの事情もあり、研究は未だ進んでいない(注3)。近代日本において独特の発展を遂げた百貨店美術部の歴史的意義を明らかにしたいというのが本研究の主眼であり、その端緒と― 333 ―― 333 ―

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