鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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して百幅画会の全容を解明したいというのが本稿の目的である。また、百幅画会出品100幅の所在は長らく不明であったが、発見に至った4幅についても報告する。1.開催の目的髙島屋では、明治42年(1909)7月19日・24日の会議で、「百幅会ヲ開催スルコト、及画家選定並依嘱、其他ノ方法等ヲ定メタリ」と百幅画会開催を決定した(注4)。会議で定めたという画家の選定や依嘱方法については、明確な記載がないので詳細は不明であるが、同月直ちに画家への新作画出品依頼状が作成された。依頼状には、「広く現代絵画界の名家百人に同一寸法の画幅の揮毫を願って展覧会を開催したい」とあり、髙島屋から送る絹地に「山水、花鳥、人物、動物等、何れにても任意の図」を「来八月中」に揮毫願うとしている。京都店での百幅画会開催は11月末である。この大規模な展覧会を、わずか4ヶ月で実現させたことに驚かされる。百幅画会直後に発行した髙島屋の月刊誌『新衣裳』92号には、「現代名家百幅画会/髙島屋飯田呉服店に於て開催す」と題した記事がある。その冒頭において百幅画会開催の意図は次のように記されている(注5)。今や世の進運に伴ひ、染織物進歩向上せること疇昔の比にあらず、従来一の模様として見来りしものも、更に進んで純正美術の域に入らんとし、即ち或は古名画を応用し、或は名ある現代美術家を煩はして、優秀なるが上にも優秀に、斬新なる上にも斬新なる意匠を懲らすに至れり、蓋し現代名家の百幅画会はこの意味に依り、先我が染織物製作上に資せんことを主眼とし、次で聊か烏滸がましけれど、美術家其の人が研鑽の機会を作らんが為に企てられしものに外ならずここで注目すべきは、百幅画会開催の主眼が、まず「我が染織物の製作上に資せん」ことにあると述べていることである。次いで「美術家その人の研鑽の機会を作らん」ために企画したという。2年前に新美術部を創設していた三越呉服店がその設立について「現今日本に於て大家として知られ名家として迎へられつゝある諸先生方の日本画および水彩画を陳列販売する」とし、その翌年11月15日に開催した初の美術展覧会「半切画展覧会」においても「遍く関西諸大家の揮毫にかゝる傑作を陳列して、華客諸彦の展覧に供」し「速時割愛」(即時販売)するとしていることと比較して、その目的とするところの違いは明らかである(注6)。この違いは、単に美術部門の存在― 334 ―― 334 ―

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