鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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て仕立て直されている。②岸米山《秋猿》 出品番号9〔図3〕岸米山《秋猿》 絹本着彩 本紙109.7×40.6(cm)岸米山(1873~1910)は、岸派四代目・岸竹堂の孫(竹堂の長女勝子の長男)。名は精太郎。京都市立美術工芸学校(現 京都市立芸術大学)卒。祖父竹堂は明治15年(1882)頃より、髙島屋の染織品下絵を手がけていたが、米山もまた、髙島屋で染織品の下絵制作に携わった。幼少より祖父に学び、その才を謳われたが、30代で夭折した。秋の実りを迎えた山々を食べ物を探して移動しながら、冬に向けて栄養を蓄える猿。栗を拾う秋の猿をその確かな写生力で表現している。令和4年(2022)、髙島屋創業家一族の家より発見。同年、髙島屋史料館へ寄贈された。表装は百幅画会当時のものとみられる(注29)。③望月金鳳《月下遊狸》 出品番号75〔図4〕望月金鳳《月下遊狸》 絹本着彩 本紙110.0×40.6(cm)望月金鳳(1846~1915)は円山派の森二鳳、次いで四条派の西山完瑛に学んだ。その一方で剣術を修め、幕末には京都の志士剣客と交わった。明治の初めに内務省の官吏となり、のち開拓使に転じて北海道庁に勤務。明治23年(1890)に辞職すると、東京に出て画業に専念した。第1回文展の際、審査員選定への不満から出品せず、翌年の第2回文展より出品し審査員を務めた。動物画とくに狸画を得意とし、“狸の金鳳”といわれた。北海道庁勤務時代、多くの動物を飼いながらその生態を観察し写生に努めていたという。得意の狸を描く本作は、夜霧に霞むほのかな月明かりに照らされた狸の画。ふさふさとした狸の毛の質感が見事に表現されている。百幅画会開催時の新聞で「見るべき作」と評された作品(注30)。表装は②と同じく百幅画会当時のものとみられる。令和3年(2021)、髙島屋創業家一族の家より発見。同年、髙島屋史料館へ寄贈された。④都路華香《春雨図》 出品番号32 笠岡市立竹喬美術館寄託品〔図5〕 都路華香《春雨図》 絹本着彩 本紙110.0×41.2(cm)  ※画像提供:笠岡市立竹喬美術館都路華香(1871~1931)もまた栖鳳と同じく、20代初めに髙島屋の画室に常勤画工― 338 ―― 338 ―

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