掲載された作品のデータは「展覧会番号」「制作者」「タイトル」「借用元」に限られており、作品を同定する上で必要な「制作年」「素材/技法」「サイズ」といった情報が欠けている。さらに、出品目録に記された作品の「タイトル」は、現在カタログ・レゾネや所蔵館で採用されている名称と必ずしも一致しない。暫定的なタイトルを付された作品が多く入り混じっている点も、追跡を困難にしている。くわえて、同時代評の記述や先行研究の調査結果から、相当数の作品が開幕後に追加された事実を確認できる。こうした公式の出品目録に載らなかった作品の存在もまた、全体像を曖昧にしてきたと考えてよい。1-3.フライのポスト印象主義論他方で、企画の骨子となる構想そのものは、1910年初頭までにはフライのなかで形づくられていた(注11)。実際に展覧会のタイトルを決める場でフライが提案したのは、「表現主義(expressionism)」という語であった(注12)。同席した記者によってこの案は却下され、代わりに実質的な規定を伴わない「ポスト印象主義」という語が総称として採用された。この経緯は、新しい芸術動向の特質として、フライが何らかの「表現(expression)」を感知していたことを伝える。フライはポスト印象主義展をめぐる議論のなかで、印象主義以降に台頭した芸術の流れが「新たに発見された情動性に富む形式(expressive form)という領域をさまざまな方向性において探求している」と説き、この追求が「偉大な創始者であるセザンヌ」に由来すると主張している(注13)。フライによれば、印象主義は対象の外観が光や大気の加減で移りゆく様を厳密に描写するあまり、「統一体としての対象を解体」(注14)して、線や量塊、色彩などの構成素間の関係を不明瞭にし、緊密な画面構成を失うにいたった。これに対して、「情動性に富む形式」においては、現実に対象が有する外観を克明に写しとることは重要ではない。観者の心に直接的に訴えるためには、対象の情動的性格を把握して、それと等価の情動性を呈示しうるような画面構成の実現が不可欠である。すなわち、心に思い描いた対象の姿を「輪郭線」で捉え、律動感あふれる線やその流れるような連続性、量感、余白、光と影、鮮やかな純色の対比、視線に対する面の傾斜などの構成素と高度に組織化することによって、画面の全体を通じて、対象の情動性を凝縮したかたちで呈示する。こうしたポスト印象主義の画面構成は、情動性の点で対象の等価物となり、観者の心に対象の「生そのものと同種の実在性」(注15)を喚起しうるのだという。― 26 ―― 26 ―
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