鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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注⑴ 『市井展の全貌─淡交会、珊々会、尚美展から東京会まで─(戦前編)』(八木書店、2015年)。⑵ 山本武利・西沢保『百貨店の文化史─日本の消費革命』(世界思想社、1999年)、神野由紀『百貨店で〈趣味〉を買う─大衆消費文化の近代』(吉川弘文館、2015年)、山本真紗子「北村鈴菜と三越百貨店大阪支店新美術部の初期活動」(『コア・エシックス』Vol. 7 立命館大学大学院先端総合学術研究科、2011年)などがある。また、三井・三越の経営者たちの美術観を明らかにし、企業経営に美術が導入されていく過程を論じた田中裕二『企業と美術─近代日本の美術振興と芸術支援』法政大学出版局、2021年)の最新研究がある。付記本報告の成果をふまえ、発見に至った出品画4幅を揃えた特別展示「1909 現代名家百幅画会」を2023年1月に開催。特別展示「1909 現代名家百幅画会」髙島屋史料館企画展示室、会期:2023年1月7日-2月13日。同年12月に日本橋髙島屋S.C.本館に巡回予定。⑶ 現代名家百幅画会を取り上げた唯一の先行研究に、廣田孝「明治期の百貨店主催の美術展覧会について─三越と髙島屋を比較して─」(『デザイン理論』48号、2006年)がある。百貨店が展覧会を開く意図を明らかにしたいと三越と髙島屋の初期展覧会の比較検討を試みている。べきであっただろう。しかし、髙島屋美術部の創設までに、なお1年半の準備期間を要した。出品画もいつ売却されたのか定かではなく、残る96幅の行方は杳として知れない。髙島屋美術部が創設されたのは明治44年(1911)6月であった。むすびにかえて三越では、半切画販売の意義を「西洋でも日本でも、室内の装飾として重要なるものは絵画である。絵画は美術品として最上の位置を占め、絵画を鑑賞するの能力を有する事は、紳士淑女としての資格の一に数へらるゝほどである」と喧伝した(注39)。一方、髙島屋では、室内を美術品で装飾する行為が商売につながることは、いち早く海外向の室内装飾品製作で経験済みであった。髙島屋が美術部を創設したことは、国内の顧客に向けて室内装飾品としての美術品を販売することであり、至極自然な流れであったといえる。現代名家百幅画会は、呉服店と貿易店が両立・併存していた髙島屋が、1.染織品製作の意匠・図案に応用すること、2.美術家の研鑚の機会をつくることを目的に掲げながらも、三越に続く美術部創設を見据えて周到に企画されたものであった(注40)。三越と髙島屋の美術部は互いに影響しあいながら、美術と大衆を近付けるという大きな役割を担った近代日本の百貨店美術部の両雄となったのである。― 341 ―― 341 ―

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