前掲注⑶廣田論文。 100作のうち初めて確認できた作品は、平成26年(2014)に髙島屋史料館へ寄贈された竹内栖 出品画の表具は極めてスタンダードなものであるという。恥ずかしくなく数を揃えることができる万人に受け入れられる裂が使用されている。一文字の裂も取り勝手の良い(どこを切ってもよい)ものが選ばれている。なお、②③は同じ表具師の手になるものとみられるという(株式会社宇佐美修徳堂代表取締役・宇佐美直治氏のご教示による)。 『百名家画譜』髙島屋飯田呉服店/貿易店、1910年1月発行。題字および序文は当時、帝室博 「百幅画会」『大阪朝日新聞』明治42年12月5日。 松園は同じ画題で複数の作品を描いたようである。東京の某美術商で報告者が実見した作品は、松園出品画に極めて近似した作であったが、人物の表情や襦袢の柄などが異なるものであった。美術商によれば、これまで同様の作品を数点扱ったということである。 前掲注⑸『新衣裳』92号。 谷上摂山「画壇回顧十年」『髙島屋美術画報』、1921年1月発行。 前掲注⑵神野前掲書。 「第二回半切画会」『みつこしタイムス』第7巻第4号(三越呉服店、明治42年〈1909〉4月発行)では、前年の第1回の好評に続き、今回も非常の盛況を呈していると、「半切画の流行」を伝えている。 調査No.2280「社員総会・元締会議・同族会議議事録」明治43年(1910)1月21日・22日。 前掲注⑷調査No.1381「元締会議決議録」。 明治42年(1909)12月、髙島屋飯田合名会社設立。調査No.905「第一回営業報告書」(明治43年2月末日決算)。なお、東京店の明治42年下半季決算報告書には、百幅画会出品陳列費用として「三百余円」が計上されている。 青庵生「半切画会 年末歳始恰好の贈答品─半切画の妙味と其流行─半切画会の盛況」『みつこ 「たかしまや独特の別染友仙」『新衣裳』12年6月号(たかしまや飯田呉服店、大正2年(1913)6月28日発行)には「たかしまやにては美術部に新らしく出来て参ゐります絵画を直ちに織物に応用して染織致す許りでなく、常に斯界の代表的作品を応用することを怠りません」と染織品への応用を述べる。また、前掲注⑼調査No.837「履歴書」には、「美術工芸品に在りては、最も芸術家を養成せんことを務め、その養成に費やす所の費用亦尠少ならず」と芸術家を養成することに務めたことを述べている。店美術部顧問。鳳《小心胆大》であった。物館総長であった股野琢(1838~1921)による。しタイムス』十二月の巻、三越呉服店、1908年12月1日発行。― 343 ―― 343 ―
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