鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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見晴らす遠景では、川の蛇行が繰り返されている。同年6月3日付父宛手紙で黒田清輝は、今年はより大きなものを描こうとして下絵を始めていると書いている。その絵の「趣向ハ夏と云ものニて女子共川邊の涼き處の岡の上ニ臥ころびたり又釣などして居る體ニテ少なくも人の五六人ハかき可申候」(注10)。あたかもスーラの《グランド・ジャッド島》のディスクリプションのようである。実際に黒田が描いた「夏図」画稿〔図2〕を見ると、ひらけた風景の中に複数の人物が配置され、むしろドニの《4月》との親近性を強く感じさせる(注11)。日本帰国後にも、時に新傾向の美術への共感をうかがわせる作品がある。その一枚が1896年の《大磯鴫立庵》〔図3〕で、濃い赤で縁取られた丸い形が地面や樹木、また、葉陰から覗く空に点在している。白馬会や東京美術学校西洋画科のスタート年に挑戦的な表現が現れるのは不思議なことではないが、それにしても、輪郭内部に周囲と異なる色の塗られた円形の連なりは、前後の日本洋画の造形的文脈に当てはめることが難しい。ドニの《4月》の連作である《7月》《9月》〔図4、5〕には、衣服や樹木の中に輪郭線で囲まれた小さな円の集積を見ることができる。この2枚は室内装飾画のため比較的穏当な表現だが、初期ナビ派の装飾性のラディカルさは、同年制作の別作品により顕著である。たとえば《樹々の下の行列》〔図6〕では線とも面ともつかぬ不定形の模様が、衣服や地面、樹木にまで境界を越えて広がっている。この時期のドニの作品では複数の人物が同じ仕草を繰り返し、植物は生成繁茂し、「具体的な何か」ではなく「不可視の何か」をキャンヴァスに描出しようとする意思を強く感じさせる。象徴性を帯びた装飾的画面に触れた黒田が、それまでとは異なる造形思考を鋭敏に感じ取って、自分なりの表現として既知の油絵の中に落とし込んだのが《大磯鴫立庵》であったとすることは、解釈の一つとしては成り立つだろう。同じ「第8回展」に出品されていたピエール・ボナールの《黄昏》〔図7〕も人物の衣服に格子を貼り付けたような装飾性の強い作品だが、ここではその構図に注目したい。樹木に閉ざされた画面左側と対照的に、右側は開放的である。さらに右側では手前の無人の空間の奥に、女性たちが踊る別の空間が覗く。アンシンメトリーな左右、そして前後に異なる位相が接した二重の開閉がある。ここでは昼と夜、生と死、過去と未来、実世界と見えない世界など、本来並存しないはずの世界が境を接している。「第8回展」には他にも ʻcrépuscule(黄昏、夕暮)ʼと題した作品が夥しく出品されており、この時点までに象徴主義が界隈に浸透していたことの証左となっている。ボナール《黄昏》の構図を分割して図示し〔図8〕、《大磯鴫立庵》のそれ〔図9〕― 350 ―― 350 ―

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