2-2.「セザンヌ夫人」の謎ポスト印象主義展の出品リストの追跡を試みるなかで、同展の核となる「セザンヌ夫人」の肖像画に関して、これまで異なる作品と同一視されてきた可能性のあることが判明した。この「セザンヌ夫人」を同展に出品されたマネの《フォリー・べルジェールの酒場》(exh. no. 7)〔図2〕の「女給」と比較して、フライは次のように述べている。「セザンヌの作品には、彫塑的な浮き彫りの錯覚像を与えるための光と影の使用は、ほとんど試みられていない。それにも関わらず、私はこの肖像画が、マネの絵画には全く欠けている方法で、私の想像力のうちに実在や堅固さの感じ、量塊、抵抗感を喚起することに気づく」(注18)。陰影法が身体表現にほぼ用いられていない「セザンヌ夫人」のほうがマネの「女給」よりも実在感を想起させる、とする見方は、フライのポスト印象主義論の根幹をなす主張と同一である。そして、この「セザンヌ夫人」が「実在の像にある抵抗感や確かさを有している」とフライは絶賛する(注19)。だが、この肖像画の画像が同時代評に掲載された形跡は見あたらない。これに対して、フライは1927年のセザンヌ論でボストン美術館蔵の《赤い肘掛け椅子のセザンヌ夫人》〔図17〕を図版入りで論じ、マッカーシーも同作品の挿図を1945年のポスト印象主義展の回顧記事のなかで大きく取り上げた。このことから、主要な先行研究もまた、ボストン美術館の作品を同展の「セザンヌ夫人」と同一視してきた経緯がある(注20)。出品作品の追跡調査を牽引したロビンスは、「マッカーシーの言い分を受け容れないかぎり、フライを魅了した『セザンヌ夫人』はいまだに同定できないはずだ」と2010年に断言している(注21)。けれども、現在も編纂が進むセザンヌのオンライン版カタログ・レゾネを参照するならば、「マネとポスト印象主義の画家」展に出品されたのは、抽象化の程度がより緩やかな、メトロポリタン美術館蔵の《温室のセザンヌ夫人》(exh. no. 11)〔図3〕であったことが明らかになる。各時期に描かれた「セザンヌ夫人」を集めた2014年の企画展の図録でも、《温室のセザンヌ夫人》にポスト印象主義展への出品歴が刻まれる一方で、ボストン美術館の「セザンヌ夫人」の展覧会歴にはそうした記述が見られない(注22)。したがって、同展に出品されたのはメトロポリタン美術館の「セザンヌ夫人」であったと考えるのが妥当である。借用交渉の中心にいたマッカーシーが、なぜ、ポスト印象主義展の回顧記事でボス― 28 ―― 28 ―
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