鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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一方、先に見た『臥游集』のうち、第2冊の表紙には「觀瀾」の署名と、判読できないものの朱文角印が捺されていることを確認できる〔図7〕。觀瀾は原家の三代目となった在照の号で、『臥游集』は第一冊のある時期から在明の筆と別筆が混ざり始め、徐々にその別筆が主となっていく。調査者はこれを在照のものと見ており、それは「觀瀾」署名と本文とがよく似通っていることからも判断できる。つまり従来原在明筆とされてきた『臥游集』は在明、在照へと筆者が移行していったものであることがわかる。ここでは字数の制約上一点ずつ検証することはできないが、「原家文書」には「觀瀾」や「原家蔵」の記載があるものが含まれ、かつては原家旧蔵品であったことを伝える。現在京都府立京都学・歴彩館が所蔵する「原家文書」は、一括で京都府立図書館から移管されたもので、それ以前にどのような経緯をたどったかは不明である。しかし京都学・歴彩館の前身といえる京都府立総合資料館時代にはすでに所蔵品となっていたこと、また昭和51年に同館で「京都画派の名家 原在中とその流派」展が開催されたことをふまえると、この頃に資料が移動したと見てよさそうだ。鍵となるのは、この展覧会に協力した原家第六代の原在修氏(以下原家代々頭主と同様に敬称略)であろう。自らも日本画を学びながら原家の史料を伝存させた。貴重な家蔵資料を、それぞれの性格に応じてふさわしい場所に収めたのが在修であったことが、原家伝存作品の調査を続ける中で判明した。たとえば、春日大社には原家旧蔵文書の一部が奉納されている(注12)。また〔図6〕に掲げた下絵全5枚は、在修から京都府に寄贈された記録が残る。またこのほかに残念ながら散逸してしまったらしい史料の一部が、京都市歴史資料館に購入され、伝存している〔図8〕。昭和18年に恩賜京都博物館で開催された『原在中畫蹟展覧會目録』によれば、そのほかにも原家、あるいは原家から分家した梅戸家に伝来した資料が数多くあったようだが、現在は行方のわからないものも含まれている。今後の研究課題として、史料の着実な調査を進めたい。4 北野天満宮蔵「舞楽図衝立」について─原家と鷹司家の関係をめぐって以上では、再発見された下絵類、および史料の伝来について検討してきたが、本章では現在も北野天満宮に所蔵されている衝立の問題に触れたい。すでに江口恒明氏が紹介している通り(注13)、文化9年7月5日、吉田元椿(注14)という絵師が平田職厚に同行して新しく写された「北野天満宮内陣対立絵」を拝― 363 ―― 363 ―

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