鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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㉞ 天福寺奥院木彫群の基礎的研究研 究 者:福岡市博物館 学芸員  末 吉 武 史はじめに九州地方における仏教彫刻の特色として、明瞭な地方様式の存在を指摘することができる。特に平安時代前期の一木彫像についてはその傾向が顕著であり、例えば福岡・浮嶽神社の如来立像のように直立して腰高のプロポーションをもつもの、菩薩立像の中には福岡・長谷寺の十一面観音菩薩立像のように、「腰帛」と呼ばれる特殊な着衣を表す一群があることが近年注目されている(注1)。こうした作例の存在は、他地域と比べても明らかに特異な状況であり、九州の仏教彫刻の独自性を窺わせると同時に美術史研究の上でも畿内中心の様式史を相対化しうる可能性を秘めている。これら一連の作例が現れた背景については現在も研究の途上にあり、その造形的特徴を「古様」と捉えて九州内部に淵源を求める考え方(注2)がある一方、国内には存在しない「異風」と見て大陸の影響を積極的に認めようとする意見(注3)もある。こうした議論の背景には、大宰府を介した都の影響、地政学的な条件による大陸の影響、そして長い歴史をもつ九州在地の伝統という三つの要素が複雑に絡み合って成立する九州仏教彫刻の特質があり、問題の解明にはなお時間を要するであろう。本研究ではこうした議論を一歩前に進める試みとして、太宰府と並ぶもう一つの古代仏教文化の中心である豊前・宇佐地域の木彫像、特に大分県宇佐市・天福寺奥院に伝来した木彫群といくつかの関連の仏像に注目し、その悉皆調査をおこなうことにした。以下、その成果を公表し、若干の考察を試みるものである。一、天福寺奥院について天福寺奥院は大分県宇佐市中心部から南西方向に8kmほど離れた伊呂波川沿いの集落・黒地区に位置する。奥院はその集落を見下ろす小高い山の山頂付近に南面する岩窟寺院であり、岩窟は幅約21m、奥行約10m、天井高約4.5mの規模を有している。内部には岩屋堂が設けられており、中央に本尊として像高134cm余りの不動明王坐像が安置され、両脇の間には約70躯の仏像が伝えられてきた。昭和4年に発行された『宇佐郡誌』によると、天福寺は建長年間に創建された地蔵菩薩を本尊とする臨済宗寺院であり、その奥院には巨仏の不動明王坐像と仁聞菩薩作という木造の「五百羅漢」があると記されている。それ以前の記録としては近在の臨済宗禅源寺に伝わる安政6年(1859)の『豊前国下麻生郡禅源寺年代記録』が参考と― 369 ―― 369 ―

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