トン美術館の「セザンヌ夫人」の画像を大きく取り上げたのか。あるいは、ロビンスが示唆したように、他の展覧会番号不詳の作品と同じく、この肖像画も同展に出品された可能性があるのか。ここで浮上する二つの問いは、今後あらためて検討する必要がある。3.展示構成をたどる試みポスト印象主義展の展示計画は明らかになっておらず、陳列の位置に関するメモなどの存在も確認されていない。しかし、展示空間に照らして更新後の作品リストを精査することによって、展示構成の概要を跡づけ、背後にある工夫を読み解くことが可能である。グラフトン・ギャラリーは、1893年の開館当初から英国とフランスの美術に焦点をあてたことで知られる。往時の建物は再開発で失われたが、当時は南東側に出入口を設け、形状の異なる「八角形の展示室(Octagonal Gallery)」「大展示室(Large Gallery)」「中央展示室(Centre Gallery)」「北側展示室(North Gallery)」をつなげて展示会場としていた〔図1〕。「マネとポスト印象主義の画家」展では、この変則的な構造を活かして、あえて章立てを設けず、一室ごとに陳列の内容に変化をつけることで展開を示そうとした。第三版の出品目録にもとづくならば、最初に来館者が足を踏み入れる「八角形の展示室」には、マネ8点とセザンヌ14点からなる油彩画22点が配された。このうち20点の画像が特定できた更新後の作品リストを参照すると、人物像を大きく中心にすえた絵画〔図2、3〕が同室の展示の6割以上を占めていたことが分かる。展覧会番号と陳列の順序が一致しない可能性も考慮する必要はあるが、次の展示室に近づくにつれて赤土の南仏風景や水浴図の割合が増すように見える点は興味深い。次の「大展示室」は、このギャラリー最大の展示空間である。上述したように、ポスト印象主義展の開幕当初は、人々の「憤怒の絶叫や悪意に満ちた笑いの金切り声」(注23)が館内に響きわたったという。同時代評を詳細に調査すると、このとき最も騒然としたのは、議論の的となった作品の多くが陳列された、この第二室であった可能性が高い。大展示室は、タヒチの人々をモデルに「アダムとイブ」を描いたゴーギャンの油彩画に始まり、ゴーギャン22点、ファン・ゴッホ17点、セザンヌ7点を中心とする56点の絵画が紹介された。同定できた47点の画像から、展示された大半は油彩画であり、ドニの《オルフェウスとエウリディケ》(exh. no. 33)〔図4〕をはじめとする一辺― 29 ―― 29 ―
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