天部像は20躯含まれる。いずれも立像で梵天または帝釈天とみられる貴紳形が3躯、着甲の神将形が5躯、吉祥天とみられる垂髪の女神形が12躯含まれる。貴紳形のうちNo.35は着甲の上に衲衣を着けることから帝釈天であろう。僧形像は11躯含まれる。尊名は先行研究では地蔵菩薩とみなされてきたが、推定される制作時期を考慮すれば僧形神像とみるのが妥当であろう。明王関連では、奥院本尊で永久元年(1113)頃の造立と推定される不動明王坐像(No.66)、そして朽損著しい童子形立像(No.67)の2躯がある。童子形は顔をやや左に向けることから不動明王脇侍のうち制多迦童子であった可能性があろう。木彫群中には像種不明のものが2躯含まれる。No.68は頭部に肉髻をあらわす坐像であり、胸元をV字に打合せる衣を着けて両手を衣に包んで拱手する。No.69は衲衣を着けた坐像で、頭部や下半身が未完成のような丸太状を呈する。これらは仏像と神像が融合した状態や「霊木化現」をあらわす神仏習合像と思われる。②材質・構造について材質は大半が針葉樹材であり、クスとみられる広葉樹材のものも少数ながら含まれていた。樹種については東京国立博物館の科学的鑑定によって如来形立像(No.1)〔図1〕と(No.3・18)、菩薩形立像(No.30)、僧形立像(No.55)がカヤ、菩薩形立像(No.21)〔図4〕はセンダンと判定されている(注14)。こうした知見を基準に観察すると、ほかの木彫像も比較的重く赤味を帯びた同種の材で、カヤと判断されるものである。構造は大半が内刳りのない一木造で、両手先のみ雇い枘で別材を寄せている。木心は中心に込めるものと後方に接するもの、または外すものがある。本尊の不動明王坐像(No.66)と菩薩形坐像(No.28)は背刳りを有するが、様式からみて平安後期のものと思われる。ただし、如来形立像(No.6)〔図2〕は奈良・唐招提寺の伝薬師如来像を彷彿させる雄大な作例であり、頭部と体部にそれぞれ長方形の背刳りを施す点が注目される。構造で注目されるのは、如来形立像(No.1・13)、菩薩形立像(No.30)、天部形立像(No.47)のように、台座蓮肉と心棒を本体と共木で彫出するものが含まれる点である。こうした構造は、奈良・唐招提寺の伝薬師如来像や伝衆宝王菩薩像、京都・神護寺薬師如来像など、8世紀後半から9世紀にかけての一木彫像に認められることは広く知られており、木彫群の制作時期を考える上での有力な指標となる。③技法について如来形像には頭部に別材の螺髪を漆で貼り付けた痕跡をもつものが多数認められた。特にNo.1〔図1〕は塑土焼成とみられる径約15mmの螺髪が残存しており、他の― 372 ―― 372 ―
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