鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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を着ける。宇佐神宮に伝来する若宮五神像の中にも同様の兜と甲を着けるものが含まれており、八幡神信仰との関連が注目される。女神形はいずれも髻を結い、左右の髪を肩や胸に垂らす。手勢は左手屈臂・右手垂下のものが多いが、中にはNo.43〔図8〕のように逆のもの、No.47のように左右同じ高さに構えるものもある。また、着衣は内衣の上に胸元V字の大袖衣または胸元U字の襠衣・天衣を着け、下半身は裙・蔽膝を着け腰帯を結ぶ。大袖衣の打ち合せは右衽が多いがNo.43のみ左衽としている。僧形像はいずれも立像で、左手を屈臂して右手を真っすぐ垂下するものが多く、一定の規範性が認められる。面貌は肉付きのよい壮年相のもの(No.55・56・57)が目立ち、着衣は衲衣(右肩に懸かる)のみまとうもの(No.55・57・58・59・60)、覆肩衣を併用するもの(No.56・61・62・63・64)に二分される。また、No.62〔図10〕は内衣を着けて胸元で左衽に打ち合わせていることが注目される。同様の着衣形式は9世紀の制作とみられる福岡・浮嶽神社の地蔵菩薩立像にも認められるが、近年ではこうした平安前期の僧形像の左衽は戒を受持した菩薩僧としてのあり方を表象したものとする見解も出されており(注15)、神仏習合思想との関連性を強く想起させる。⑤作風について木彫群全体を通して見たとき、まず全体に共通して言えるのは、単独像とみられる菩薩形像も含めてほぼ直立し、しかも胴のくびれの位置を高くとる腰高のプロポーションを示すもの(No.1・21・30など)が多いことであろう。直立・腰高は平安時代に北部九州に展開する一木彫像に通じる要素であり、その淵源となった可能性を想起させる。面貌については、八尋氏や髙宮氏が指摘したように(注16)、目鼻が顔の中心に寄り気味で上唇が盛り上がる独特の微笑相をもつもの(No.1・4・18・30・38・43・44・55など)が多く認められる。こうした特徴は像種を問わないことから、制作した仏師工房あるいは地域に由来する作風と言えよう。その元になったイメージとして、例えば大分市・柞原八幡宮の如来立像や中津市・長谷寺の観音菩薩立像のような、宇佐周辺に存在した白鳳金銅仏を想定することも可能ではなかろうか。一方、制作年代を窺う上で注目されるのは着衣の処理や衣文構成である。髙宮氏も指摘するように、菩薩形像の裙の折り返しの形状や腰布の打合せ部に刻まれた品字型の襞、両脚間で帯状の打合せ部をつくる表現は、あたかも天福寺奥院の塑造菩薩立像をモデルにした趣があり、特にNo.31〔図6〕では腹部の柔らかい肉身の質感まで再現されているように見える。また、衲衣と裙を着ける如来形立像では、ほとんどが正面脚部に大腿の膨らみを強調したY字またはX字状と称される衣文を刻み、下腹部に小さなU字状の衣文を刻むもの(No.3・8・59)も散見される。これなども唐招提― 374 ―― 374 ―

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