注⑴ 末吉武史「福岡・長谷寺十一面観音立像と九州の古代彫刻」(『佛教藝術』349、2016年)⑵ 末吉武史「九州における古代木彫像の成立」(『九州仏』福岡市博物館、2014年)⑶ 井形進『九州仏像史入門 太宰府を中心に』海鳥社、2019年⑷ 賀川光夫編『宇佐─大陸文化と日本古代史─』吉川弘文館、1978年⑸ 久野健「宇佐天福寺奥院の仏像群」(『美術研究』297、1975年)⑹ 八尋和泉「宇佐の美術工芸」(賀川光夫監修『宇佐市史』下、1979年)⑺ 渡辺文雄「宇佐天福寺奥の院木彫仏郡群について─平安初期一木像の地方的展開の一事例─」⑻ 綿貫俊一・株式会社加速器研究所「天福寺奥院の仏像群の放射性炭素年代測定(AMS測定)」⑼ 髙宮なつ美「天福寺奥院仏像群について」(『大分県立歴史博物館研究紀要』13、大分県立歴史⑽ 鈴木喜博「檀像の概念と栢木の意義」(『日本美術全集5 密教寺院と仏像』講談社、1992年)⑾ 金子啓明・岩佐光晴・能城修一・藤井智之「日本古代における木彫像の樹種と用材観─七・八世紀を中心に─」(『MUSEUM』555 1998年)、同「日本古代における木彫像の樹種と用材観Ⅱ─八・九世紀を中心に─」(『MUSEUM』583 2003年)⑿ 長坂一郎「平安時代前期における南都諸宗の地方寺院経営と木彫像の制作─元興寺法相宗の場合を例として─」(『佛教藝術』206、1993年)、鈴木景二「都鄙間交通と在地秩序─奈良・平安初期仏教を素材として─」(『日本史研究』379、1994年)⒀ 天福寺奥院木彫群の調査は2021年10月20~22日、同12月6~7日、2022年4月22~24日におこなった。調査では有木芳隆・中西真美子・竹下正博・寺島典人・髙宮なつ美・宮田太樹・萬納恵介・曽我俊裕・村上幸奈・森瑞穂、浦叡学、以上各氏の協力を得た。また、内野観音堂の調査は2021年12月8日に、宮田太樹・曽我俊裕・森瑞穂、東京都個人蔵木彫像の調査は2022年11月6日に寺島典人・萩原哉・森瑞穂、以上各氏の協力を得ておこなった。⒁ 注⑾参照。⒂ 津田徹英「僧形像の襟元にあらわれた「左衽」」(津田徹英編『仏教美術論集2 図像学Ⅰ─イ⒃ 注⑹、注⑼参照。⒄ 現存最古の八幡神像としては、九世紀の制作とされる京都・東寺鎮守八幡宮像、広島・御調八付記天福寺奥院木彫群の調査に際しては黒区・栗原正直氏ならびに大分県立歴史博物館の村上博秋氏・原田昭一氏、内野観音堂の調査に際しては観音堂世話人の田染和孝氏、東京都個人像木彫像の調査に際してはご所蔵者より格別のご高配を賜りました。以上、心より感謝申し上げます。(『密教図像』7 1990年)(『大分県立歴史博物館研究紀要』13、大分県立歴史博物館、2012年)博物館、2012年)メージの成立と伝承(密教・垂迹)』竹林舎、2012年)幡宮像があり、いずれも左手を屈臂して右手は膝に置く壮年相の僧形坐像として表される。― 377 ―― 377 ―
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