注⑴ 「ブルームズベリー・グループ(Bloomsbury Group)」 は、ケンブリッジ大学時代の仲間を中心に1904年頃から形づくられ、当初からのメンバーにはトゥビー・スティーヴンと姉で画家の結すなわち、《緑色の眼の娘》においては、入念に関係づけられた各部分が律動的な均衡を生みだし、明るい朱色や白、鮮やかな青緑色が見事な調和を織りなしている。その全体を通じて、若い女性の溌剌とした量感があますところなく呈示される点を、フライは高く評価した。また、ドランの《湖のほとりの木々、カリエール=サン=ドニの公園》(exh. no. 118)〔図13〕については、「その情景に欠かせない情動」(注26)で満ちていると賞賛し、この作品を自身で購入している。他方で、ピカソの紹介は不十分といわざるをえない。各室に配された9点のうち、キュビスムの時期の油彩画は中央展示室の1点であり、それ以外の油彩は「青の時代」から「薔薇色の時代」にかけての数点に限られ、残りは素描であったと推測される。画家の最新の試みが排除された理由を突き止めるには、さらなる調査を要する。最後の一室となる「北側展示室」は、ポスト印象主義展では「最終展示室(End Gallery)」と呼ばれ、最も多い106点が集められた。このうち画像が判明したのは16点にとどまるが、その冒頭には、中央展示室からの連続性に配慮するかのように、ファン・ゴッホ〔図14〕やドニ、ゴーギャンらのまばゆい色あいの油彩画が並ぶ。残りの作品の大部分は水彩画〔図15〕や素描、ブロンズ〔図16〕やテラコッタの彫刻、ファイアンスの陶器であり、一様のタイトルが付けられた未特定の小品も多い。一見したところ関連性の薄い多様な作品が並べられたこの最終章は、制作過程も含めて新たな動きを概観しようとする実験的な展示空間であったと考えられる。以上、本稿では、「マネとポスト印象主義の画家」展の出品内容を各種資料と詳細に照らし合わせて跡づけ、再編した画像入りの作品リストにもとづいて展示構成を精査し、1910年代の英国の前衛的表現を大きく前進させたといわれる同展の全容の把握を試みた。出品作品の選定における主要な借用元の関与や閉幕後の売却先に関する画商側の資料など、さらに検討するべき点は残る。二年後の「第二回ポスト印象主義の画家展」の展示内容を追うとともに、同展の影響下でブルームズベリー・グループをはじめとする英国の若手画家が発展させた前衛的表現について具体例を挙げつつ考察することが、次の課題となる。― 31 ―― 31 ―
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