鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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─ サンタフェ寄宿学校のナバホ生徒による理想化された風景表現と、 ㊱ 1930年代のナバホ居留地風景表象の問題土壌保全プログラムによる居留地の近代化─研 究 者:ニューメキシコ大学 美術学部 博士課程(美術史)  中 山 龍 一1870年代末以降、アメリカ合衆国では、連邦政府が設立した先住民寄宿学校で、先住民を親元から引き離し、アメリカ社会に労働者として同化させるための教育が行われた(注1)。南西部のニューメキシコ州の州都サンタフェにある、1890年設立のサンタフェ先住民寄宿学校(Santa Fe Indian School、SFIS)も、そうした寄宿学校の一つで、主に、定住農耕民のプエブロ族、遊牧民のナバホ族、アパッチ族といった、南西部の部族出身の先住民生徒たちが、故郷から送られてきた(注2)。1928年のメリアム・レポートに代表されるように、1920年代に同化政策の問題点と先住民の権利を保護する重要性が認識されるようになると、寄宿学校の環境も変化し始める(注3)。フランクリン・ローズヴェルト政権下の合衆国内務省インディアン事務室(Office of Indian Affairs, OIS)室長を務めたジョン・コリアは、先住民文化の保護に関する自身のビジョンに基づいて、インディアン再組織法や先住民工芸局の設立、先住民教育の改革に取り組んだ(注4)。先住民政策の変化に呼応するように、1932-1937年の間、SFISの美術教師ドロシー・ダン(1903-1992)は、先住民の生徒たちに、生徒たち自身の伝統文化に基づいた絵画の制作を指導し、また生徒たちの作品の展覧会を組織することで、先住民絵画の普及に努めた(注5)。ダンの生徒たちは、儀礼や狩猟、農耕、村での生活といった民族誌的な主題を、単純化した形態で、素朴かつ自然主義的に描写した絵画を制作した。ダンは、単純化した形態で部族固有のモチーフを表現した絵画こそが、主題・様式ともに文化的真正性を体現し得る、というプリミティヴィズム的な先住民絵画観を持っており、遠近法や解剖学の知識といった西洋の手法を用いて、ステレオタイプな「インディアン」表象を描写した美術を批判した(注6)。1960年代まで主流であった先住民画家による民族誌的な主題を描写した絵画には、「インディアン画(Indian painting)」という呼称が用いられていた(注7)。現在先行研究では、SFISの生徒による作品は「ストゥディオ・プログラム」というダンの授業プログラムに因んで、「ストゥディオ様式絵画(Studio style paintings)」と呼ばれる(注8)。1930年代のダンの生徒の作品の多くは、背景を極端に省略している。しかしナバホの生徒たちの中には、ナバホ居留地の風景表現を行うものもいた。例えばクインシー・― 392 ―― 392 ―

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