ラ(サン・イルデフォンソ・プエブロ)やフレッド・カボーティ(ホピ)についての近年の研究の関心は、制度・パトロン批判から制作者である先住民画家の政治的・文化的交渉における主体性の問題に向かっている(注15)。一方で、例えば美術史家ミリアン・ハーンが、ストゥディオ様式絵画の伝統文化表象を、近代に生きる先住民としてのアイデンティティの表現を模索した産物であると論じたように、ダンの生徒についての研究は、依然として多文化共生主義的なアイデンティティ構築を議論の枠組みに用いている(注16)。しかしながら、アイデンティティ構築のナラティヴには、時代錯誤的に画家の主体と関心の所在を想定してしまうリスクがある。美術史家カースタン・ビュイックは、研究者が現在の政治的関心から、マイノリティーの作家の作品を作家自身のアイデンティティーについてのものであると想定し、そこに「反体制的な」意味を読み取ろうとしてしまうように、作家のアイデンティティーが作品分析を予め規定してしまう状況を批判した(注17)。そのため報告者は、風景表現の特質を、1930年代にSFISのナバホ生徒が置かれていたより具体的な社会的・文化的状況との関わりから考える必要があると考える。ナバホ居留地の近代化と土壌保全教育:先行研究には、SFISのナバホ生徒による風景表現を、同時代の土壌保全プログラムと結びつけて読解する試みもある。ナバホの現代毛織物作家D.Y.ビゲイは、シビル・ヤズィーの木立の中のせせらぎと羊の群れを描いた無題の風景作品(1937年)〔図2〕について、同作品のシンメトリーを意識した構図が、ナバホの世界観の中心的な概念「ホジョン(hózhó、調和・均衡)」を反映するもので、土壌保全プログラムによってもたらされた混乱に対して、ホジョンを体現するようなイメージの制作を通じて、宇宙的な均衡を取り戻そうとする表現なのではないか、という見解を述べている(注18)。但し、ビゲイはヤズィーが同プログラムに反対していたとは明言していない(注19)。ヤズィーによる風景にも、《ナバホの土地》同様、居留地の近代化を示すモチーフが明示的には描かれていない。一方で、当時OISナバホ支部であるナバホ・サービスは、その刊行物を通じて、近代化しつつある居留地のイメージを構築しようとしていた。1936年から1937年の間、主にナバホ・サービスの職員や居留地内の非先住民に向けて発行された、『ナバホ・サービス・ニュース』の2号4巻の表紙絵は、SFIS出身ではないナバホの画家、チャールズ・シャーリイによるもので、前景に停まったトラックから降りてきた子供たちが、岩がちな丘陵の手前に建つ、中景のコンクリー― 394 ―― 394 ―
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