ト造りの校舎に歩いていく場面を描いている〔図3〕。またシャーリイは、電線を描くことで、学校が最新の設備であることを示唆している。同様に、土壌保全サービスによる年次報告書も、計画の進捗報告という形で、進行中の居留地の近代化を視覚的に提示している。コーヴのモデル区域を撮影した航空写真は、居留地に現れた近代的に管理された風景を、飛行機という技術を用いて空から捉えている〔図4〕。それでは、OISの管轄下にあるSFISは、生徒の土壌保全プログラムに対する意見形成に、どのような役割を果たしたのだろうか。SFISの生徒によるニュースレター『テワヨ(■■■■■■■)』からは、SFISでも1933年には、第6学年と10学年で校外学習を含む土壌保全に関する授業が行われていることが確認できる(注20)。合衆国土壌保全サービスが、1938年から1941年の間にニューメキシコの小学校で写真に記録した、植物の保水作用や土壌浸食についての授業のように〔図5〕、同様の授業がSFISでも実施されていただろう(注21)。なお、シビル・ヤズィーは1936-37年に農業経済と土壌保全のクラスを受講している(注22)。また、『テワヨ』は定期的に、SFIS周辺にある各プエブロ族居留地での、土壌保全プログラムの進捗についても報告している(注23)。ナバホ評議会の土壌保全プログラム推進派のひとり、トム・ドッジもスピーチのためにSFISを訪問していることから、同プログラムに親和的な環境が伺える(注24)。但し現時点では、SFISのナバホ生徒の、土壌保全プログラムに対する1930年代当時の立場を明らかにするのは難しい。例えば、ダンは授業の準備の一環で、1936年ごろストゥディオ様式絵画の主題の候補をメモに列挙し、「現代の医者・看護師とインディアンとの関係」に加え、「土壌浸食防止:ダムの建設、植林」を挙げている(注25)。しかしながら、ダンのナバホ生徒が土壌保全プログラムに明示的に言及したような作品は、過去の展覧会や先行研究でも言及がなく、報告者も確認できていない。SFISのナバホ生徒たちは、居留地の近代化を伴う土壌保全プログラムについて知っていたとしても、積極的には絵画の主題として表現しなかったのだろう。もしそうであるならば、ナバホ居留地の風景表現は、生徒たちのどのような関心・問題意識を反映したイメージなのだろうか。ナバホ居留地の外へ:カリフォルニアの先住民寄宿学校、シャーマン・インスティテュートにおける20世紀前半の先住民労働史を分析した歴史家ケビン・ウェーレンによれば、OISは1930年代に、大恐慌の影響が残る都市部で、先住民生徒が非先住民と労働市場で競合しない― 395 ―― 395 ―
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