鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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注⑴ Sally Hyer ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Albuquerque: University of New Mexico Press, ⑷ ■■■■., 75-84; Milanne Shelburne Hahn “The Studio of Painting at the Santa Fe Indian School: A Case Study in Modern American Identity” PhD dissertation, University of Texas at Austin, 2011, 71-87.⑼ Franc J. Newcomb and Gladys A. Reichard ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, New York: Dover Publications, Inc., 57, 60; Nancy J. Parezo ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ Albuquerque: University of New Mexico Press, 1991, 11-19.⑹ Dorothy Dunn “Indian Children Carry Forward Old Traditions” ■■■■■■■■■■■, March 1935: 426-⑵ ■■■■■■■5.⑶ メリアム・レポートについては Jenifer McLerran ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■1933-1943, Tucson: The University of Arizona Press, 2009, 63-71を参照。⑸ Michelle McGeough ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■1918-1945 Santa Fe: Wheelwright Museum of the American Indian, 2009, 34-40.⑺ 例えばJ.J. Brody ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Albuquerque: University of New Mexico Press, 1971, 159にこの用法が見られる。⑻ Bruce Bernstein and W. Jackson Rushing, eds. ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Santa Fe: Museum of New Mexico Press, 1995.⑽ ここでは土壌保全プログラムの概略に触れるに留まるものの、同プログラムについて詳細に論1990, 5-6.27.の予備課程在籍中に、さらなる教育を受け、社会的地位を向上させるために、進学を希望し、芸術と英語を勉強するのだと自らの希望を綴った(注45)。ダンの下でストゥディオ様式絵画の制作を学んだSFISのナバホの生徒たちは、牧歌的なナバホ居留地の風景表現を生み出した。それらの風景表現は、柵や灌漑設備といった近代化の象徴を描かないことで、当時居留地に混乱と分断をもたらした土壌保全プログラムには明示的に言及しなかった。一方で、1930年代のSFISのナバホの生徒たちは、居留地の外での高等教育や就業の可能性を模索しており、乗り越えるべき言語の壁や人種差別が存在した。ダンが構想したような、人種・民族的アイデンティティーに基づいた文化本質主義的な表現をすることは、必ずしも生徒達の共通の関心ではなかっただろう。しかし、ストゥディオ様式絵画の理想化された先住民文化表象は、当時の人種と文化をめぐる言説の中では、先住民生徒たちが、そうした障害を乗り越えるための手段だと見做されていた。そのため、タホマや、ヤズィー、ビゲイによる、近代化の痕跡が不在の牧歌的な居留地の風景の描写も、都市部の一定の教養を有する非先住民に向けた、ナバホの伝統文化の独自の価値を体現するイメージとして機能し、先住民生徒の未来への希望を反映し得たのである。― 398 ―― 398 ―

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