㊲ 三代広重の画業と、歌川派絵師の近代研 究 者:港区立郷土歴史館 学芸員 神 谷 蘭・研究の方法浮世絵・版本・肉筆画・画帖作品のデータを収集したうえで、データベースで公開を行っていない資料に関しては、可能な範囲で実見・調査を行った。三代広重は初代広重への入門時期、画業開始の時期、そして広重襲名の時期が明確ではなく、時期に関わらず複数の画号を用いているため、目録作成時には使用落款、印(ヒロ印)、そして改の年月を明確にするよう留意した。また文献・雑誌・新聞記事・番付等の記録を網羅的に収集し、年表の作成を行った。・研究成果作品目録と年表の作成を行なったことで、まずは画題の変遷を追うことができ、それに伴いいくつかの新たな知見を得た。作品目録は紙幅の都合上掲載が叶わないため、別添の〔表〕三代広重年表に、作品目録も合わせた形で、主要な情報をまとめた。よって、この表に沿って報告を進める。0.概観名所絵の大家であった広重の後継者であること、また「文明開化の絵師」と称されることから、当初から名所絵を多く描いていたと認識していたが、画業開始から5年間程は比較的戯画が多くの割合を占めていた。主に「歌重」の号を用いて描かれた戯画は子供を主役とするものが多く、生き生きとした動きや表情の描写から、人物を描く練習を兼ねていた可能性も考えられる。明治元年(1868)9月改「東京名勝図会 築地ホテル館」を始めとし、「東京名勝図会」シリーズは同3年まで確認することができる。初めての揃物だと考えられるが、約2年もの間、続けて出版されている。全数は不詳であるが、今回報告者が確認できただけでも47図が存在するため、いわゆる新人としては大作だと言えるだろう。その後明治4年には清国皇帝への贈呈品だと考えられる画帖、また同7年にはオーストリア帝国皇帝への贈呈品だと考えられる画帖の制作に携わる。オーストリアの画帖については、塩谷純氏が平成13年(2001)に行った調査の報告をしている(注1)。全2帖、各50図からなる画帖は、旧御用絵師と浮世絵師が制作に携わっており、狩野永悳、住吉広賢、服部雪斎で1帖、松本楓湖、三代広重、豊原国周で1帖を担当して― 404 ―― 404 ―
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