鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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年西暦年齢・1月29日、日暮里の七福神詣に出かけたか(読売新聞1月25日号)・7月1日、手がけた新吉原の灯籠が点灯する。・10月、妻・辰が亡くなる。明治12187938明治13188039・この頃八重が後妻となる。・吉原の灯籠を手がける。明治14188140・4月16日、向島・秋葉神社に初代広重の碑を建て書画会を開催。「建立の報条」を摺物にして配布(読売新聞4月1日、2日、13日号)・10月、第1回内国絵画共進会に「歌川派 号広重 安藤徳兵衛」の名で肉筆画「函根六景」「江之島図」を出品。・12月27日頃、旅籠町1丁目2番地柳橋向川岸通俗大代地に転居(読売新聞12月27日号)明治15188241・11月頃、青琳堂より「普通画学楷梯」が5巻まで出版される(読売新聞11月15日号)明治16188342明治17188443明治18188544・3月20日、浅草大代地の名倉において書画会を開く・初代の師・歌川豊広の六十回忌の法要を行い、「師祖豊広翁像」を摺物にして配布。明治19188645明治20188746・6月2日、東両国中村楼における書画会に参加(東助書画会報條)・久松町に転居か。・浜町に転居か。明治21188847明治22188948・下平右エ門町に転居か。・4月頃、「宮戸川に観世音を網にするの図」が若松町の尾関より出版される(朝日新聞4月20日号)・7月20日、吉原の灯籠が点灯される(朝日新聞7月16日号)明治23189049明治24189150明治25189251・再び久松町に転居か。明治261893順天堂病院にて2度手術を受ける。52・12月中旬、口蓋癌の診断を受ける。53・この頃、日本橋浪花町24番地に住む。明治271894・3月28日、没。出来事立斎広重画図、金子錦二戯著、仮名垣魯文校「新潟花かゞみ」(二月届)安藤徳兵衛「立斎漫画」(四月届)東海堂歌重画、古慶坊三笑著、松林堂梓「新選サハリ都々一」(十一月届)広重/安藤徳兵衛「地方官会議開院式図」(二月届)安藤徳兵衛「東京名所九段坂上靖国神社之真図」(十月届)立斎広重画、柳水亭種清案「泰平楽語 笑種福万金双六」広重/安藤徳兵衛「第二回上野博覧会之図」(三月届)広しげ「東京名所之内 九段坂上」(九月届)広重「婦人教訓鏡 布さらしの図」立斎広重「[歌川広重辞世歌碑]」(四月届)広しげ/安藤徳兵衛「東京名所鉄道馬車往復上野公園山下之図」(九月届)広重/安藤徳兵衛「鉄道馬車往復日本橋之真図」広重/安藤徳兵衛「於隅田川海軍之端舟競走水雷火試發天覧之図」(六月届)立斎/安藤徳兵衛「不二詣諸品下山之図」(十一月届)安藤徳兵衛編「新撰謎々合」(十一月届)広重「古今東京名所」広重/安藤徳兵衛「日比谷於練兵場ニ陸軍諸隊整列式之真図」(一月届)立斎広重「東海道五十三駅御一覧名所双六」広重/安藤徳兵衛「東亰深川公園地 成田山開張之図」(四月届)立斎広重/安藤徳兵衛「東京真景名所双六」(十月届)「英語図解」(四月届)「流行英語尽」(四月届)立斎広重「師祖豊広翁像」広重「小学唱歌双六」(十二月)広重「東京名所開花一覧図会 上野山内東照宮」広重「上野公園於開説第三回内国勧業博覧会之略図」広重「成田土産名所尽」広重「近江八景全図」広重「諸国六玉川」広重「小学教育大日本名所図会」広重「撰出江戸四十八景」― 413 ―― 413 ―主要作品・落款画中に記され番付、目録等の記述た所在地・3月届「現今書画人名録」「浮世画の部」に「京橋弓町 一立齋廣重」の記載あり。南紺屋町廿七番地・1月28日届「皇国名誉書画人名録」「浮世画」に「南紺屋町 一立齋廣重」の記載あり。・3月25日届「東京書画詩文一覧 明治十四巳年夏」「浮世錦絵名家」に「京バシ 安藤廣重」の記載あり。南紺屋町廿七番地南紺屋町廿七番地南紺屋町廿七番地・11月届「明治画家略伝」に「歌川安藤廣重 京橋区南紺屋町廿七番地」の記載あり。南紺屋町廿七番地旅籠町一丁目二番地旅籠町二丁目一番地旅籠町一丁目南紺屋町廿七番地旅籠町二丁目・11月13日届「万家肖像雅名集」(国立国会図書館蔵)に「立斎広重画図」記載あり。・2月届「皇国書画名家二覧」に「浮世 東京 安藤廣重」の記載あり。・11月届「東京高名鑑」に「畫 安藤廣重」の記載あり。旅籠町一丁目二番地・「大日本東京書画大銘家一覧表」に「大銘家 安藤廣重」と記載あり。・「東京名家四方一覧」「畫家」に「錦画 久松丁 安藤廣重」の記載あり。・「全国書畫名家集覧」「真景」に「ハマ丁 安藤廣重」の記載あり。・12月届「東京大画家派分一覧表」「歌川派」に「下平右エ門 安藤廣重」の記載あり。・6月届「古今博識一覧」「現存日本画人名一覧流派早見一覧」に「歌川派 東京 安藤廣重」の記載あり。・「東京名家見立一覧」に「景色 久松丁 安藤広重」と記載あり。・12月届「七福神雷名競」「画 東京 安堂廣重」の記載あり。

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