研 究 者: 栃木県立美術館 研究員 東北大学大学院 文学研究科 博士課程後期課程 武 関 彩 瑛1 はじめに本研究は、帝政期のローマ壁画における自然描写に実際の環境が与えた影響について考察することを目的としている。これまで古代ローマの風景に関する研究は、牧歌詩などの文学や風景画などの美術作品に表われるような理想的表現と、古代文献や建築遺構に認められるようなローマ人が身近に目にすることの出来た眺望とが切り離されて論じられてきた(注1)。そのため、現実の風景が絵画空間にどのように反映されているかという点は限定的にしか追求されず、本来ローマ人が享受していた身近な自然風景と絵画との関係は、古代ローマ風景画研究の中で等閑視されてきた。そこで本研究は、作品の図像的研究に実際にその周囲を取り囲む環境との比較を加え、理想的表現として論じられてきた風景描写を捉え直す。本研究では特に、古代ローマ美術の異国表象に着目する。帝政初期のローマでは、エジプトの属州化によってエジプトへの関心が特に高まっていた時代であった(注2)。その時代におけるイタリア国内のエジプト表象における自然描写と、エジプトでの作例を比較することにより、周囲の環境からの影響関係について検証する。2 帝政初期のイタリア半島におけるエジプト表象ローマ帝国内でのエジプト志向の盛り上がりは、「エジプト趣味(Aegyptiaca)」と呼ばれ、憧れの異国の地としてのエジプト表象は、ランプなどの工芸品や彫像、床モザイクや壁画まで多くのものに表わされている。大きな流行を見せるのは紀元前31年アクティウムの海戦での勝利以降ではあるが、前3世紀にはすでにエキゾチックで豊かな土地としてエジプトへ関心が寄せられていた(注3)。この時代について、現在最も多くの作例を見ることができるのは、ローマ帝国の中心部からやや南に下ったカンパニア地方である。紀元後79年のヴェスヴィオ山の噴火によって埋没したこの地域では、紀元後1世紀時点の都市遺構が当時のままに残されている例が多い。特に、広範な発掘により都市の全容が明らかになりつつあるポンペイでは、エジプトへの関心はイタリア半島の中でも比較的早い段階でもたらされたことがわかっている。帝政初期のローマ帝国内において流行したイシス信仰が、ポンペ㊳ ローマ帝政初期の風景画とその自然観に関する研究― 414 ―― 414 ―
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