鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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イにおいてすでに前2世紀には浸透していたと言う事実は、その証左のひとつであろう。ポンペイのイシス神殿は前2世紀に建立されたが、これはイタリア半島で最も早い時期のものであった。この神殿は紀元後62年の地震によって倒壊しているが、その後異例の早さで再建されたことが碑文によって明らかになっている(注4)。このことからも、ポンペイにおけるイシス信仰の影響力の大きさ、そしてエジプト趣味の流行の様子がうかがえる。ポンペイにおけるエジプトへの関心がこれほどまでに高まった背景には、近郊にあるプテオリ港(現在のポッツォーリ)の存在が関係している。プテオリ港は、カンパニア地方のみならず、ローマ帝国の貿易において重要な位置を占めており、紀元後1世紀頃までは、アレクサンドリアから運ばれた小麦は首都ローマに直接向かうのではなく、一度プテオリで荷下ろしをした後、陸路にて運ばれていた。さらに東方からの船はそのほとんどがアレクサンドリアに寄港したのちにイタリア半島へ到来したため、アレクサンドリアは文明の十字路ともよばれた。特に地中海貿易の要であったデロスが衰退した紀元前80年以降はその勢いも増すこととなったことは重要な点であろう(注5)。つまり、この頃にはエジプトを介したオリエント地域の文化の大きな流入がカンパニア地方で始まっていたと考えられる。ポンペイにおけるエジプト表象の作例は、大きく2つに分けることができる。ひとつは、エジプトを示す表象のひとつとして宗教的モティーフが用いられるパターンである。それは先に述べたように、イシス信仰の広がりによる影響も大きいだろう。また、エジプトの宗教的モティーフ装飾はイシス神殿のみならず、ポンペイ内の多くの邸宅でもつかわれている。それらの多くは中庭や、それに面したペリステュリウムやトリクリニウムなど、余暇を楽しむ空間に配されることが多く(注6)、なかには宗教的な意味から離れ、単なるエキゾチックなモティーフとして利用された例もあると考えられる。もう一方は、宗教モティーフ以外による表象である。エジプト趣味のひとつとして、ワニやカバといった動物や、スイレンなどの植物を配することで異国を表現する「ナイル河風景画」が誕生した。これは壁画のみならず、床モザイクにおいても多く表わされた主題である。プリニウスによれば、すでに前3世紀頃のギリシア人画家ネアルケスが「海戦の舞台がナイル河であることを示すためにワニを描いた」とされるが、作品は現存していない(注7)。ローマにおけるナイル河風景画として最も有名な例は通称《パレストリーナ・モザイク》〔図1〕である(注8)。ここでは、蛇行しながら流れるナイル河を中心に、そ― 415 ―― 415 ―

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