鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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イラを納める棺の顔部分に被せるもので、小さな板に描かれている。ローマ化以前のエジプト美術には見られない、写実主義的な表現が特徴的である。しかし、そこに添えられるエジプト由来の宗教的モティーフは、以前より変わらず、簡略的に図案化された型どおりの表現で描かれている(注13)。したがってそこに登場する植物モティーフも、すべて図案化された状態で描かれており、自然主義的な表現からは離れている。こうした、自然主義的表現と宗教との関係は、次の例にも現れている。現在のカイロから南に260km下ったところに、トゥーナ・エル・ガバル(Tuna-el-Gebel)のネクロポリスがある(注14)。そのうち第21墳墓には、ひとりの女性が死後の世界へ誘われる様子が連続した場面として壁面に描かれているが、それらの表現には明らかに宗教的意味が込められている。入り口に近い第1室の西壁では、女性はまだ自然主義的なプロポーションを保って描かれている〔図4〕。それは、女性の両脇に立つエジプトの神トトとホルスが伝統的な表現、すなわちプロフィールを向いた平面的な状態で描かれていることからも際立っている。ここでは、女性は死者の国への入り口におり、まだ完全な死者となっていないことが表わされているのである。しかし、その反対側に位置する東側の壁では、女性はエジプトの伝統的な表現方法、つまり横向きの平面的な姿で描かれている〔図5〕。服装も、それまで着用していたローマ的な服装ではなく、エジプトらしい衣装へと替わっており、生者の世界から死者の世界へと完全に移行したことが表現されている。これは、明らかにギリシアやローマからの自然主義的な表現が、エジプト美術に流入した影響が現れていると言えよう。しかし、土着のもの、特に宗教的モティーフを表わすときには、あえて自然主義的な表現をつかわないことで、宗教的な意味を強く押し出そうとしていると考えられる。さらに時代が進んだ紀元後2世紀の例を見てみると、ローマ美術の影響はかなり色濃く浸透していることがわかる。現在のカイロから500キロ以上南下した、かつての上エジプトに位置する地域にケリス(Kellis)というローマ時代の集落遺跡がある(注15)。ここでは、紀元後2世紀頃の邸宅や神殿の遺跡が発見され、その一部には壁画が残されている。全体的な装飾様式はポンペイ第2様式に近く、帝国中心部から離れていることからその伝播にも時間的隔たりがあったことがうかがえる。具体的なモティーフは少なく、そのほとんどが幾何学模様や模擬大理石模様で覆われているが、一部にアカンサスや葡萄のツタなどといった植物文様が表わされている。また、ここでもトゥーナ・エル・ガバルと同様に、エジプト土着の宗教表現とローマ由来の装飾が混在した壁画が発見されている〔図6〕(注16)。第1神殿の第1室では、壁面が上― 417 ―― 417 ―

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