鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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下3段に分割される、ローマ的な装飾計画が用いられている。そのうち中央は1辺が1メートルほどの長方形のパネルが並んでおり、その隙間に葡萄のツタの装飾が添えられている。最下段もローマ由来のフリーズ模様で装飾されているが、最上段にはエジプトらしいプロフィールの平面的な人物像が並んでいる。通常、ローマにおける壁面装飾は複数の職人や壁画家からなる工房が担い、上から下へと作業が進められるが(注17)、ケリスの第1神殿では、エジプト的な表現を用いている最上段が最後に装飾されたことがわかっている(注18)。これはおそらく、最上段のみ異なる壁画工房に依頼をしたためであると考えられる。つまり、トゥーナ・エル・ガバルと同様、宗教的な意味を強く押し出すために、一部ではあえてエジプト古来の表現方法を踏襲しているのである。したがって、帝政初期のエジプトにおいては、ギリシアやローマから流入した自然主義的な表現と、エジプト古来の平面的な表現を使い分けることで、ローマの属州となったエジプト独自の表現を作り上げているのである。4 ローマ人による受容とモティーフの伝播ここまで、イタリア国内におけるエジプト表象と、エジプトにおける壁画表現、そして互いに影響を与えている要素について考察してきた。ここで、それらの図像がどのようにして伝わったのか、その経緯についてもう一度考えたい。ポンペイにおいては、イシス教そのものが熱心に伝えられたため、宗教的モティーフについてはおおよそ正しく伝えられ、表現されている。しかし、非宗教的モティーフについては、再現度に大きな差が見られた。「ファウヌスの家」のナイルモザイクの動植物表現については、自然主義的で、エジプトの動植物をおおよそ正しく表現していると言って良い。その理由としては、このモザイクの産地についての議論を参照する必要がある。この時代、非常に細かいモザイク装飾を得意としたのは、アレクサンドリアの職人であった(注19)。そのため、これらのナイルモザイクについても彼らの関与が指摘されているのである。つまり、「ファウヌスの家」におけるナイルモザイクは、アレクサンドリアで作られたものを輸入したか、あるいはポンペイで工房を構えたアレクサンドリアの職人によるものか、いずれかが考えられる(注20)。エジプトに関する表象に現実との相違がないのも、実際のエジプトを知っている職人の手によるものという理由が考えられるだろう。アレクサンドリアには、植生を描く職業の存在が指摘されており(注21)、そうした表現に長けていたのではないだろうか。一方で、戯画的にエジプトの人々を表わしたピグミーのような表現は、現実との乖― 418 ―― 418 ―

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