鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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注⑴ Leach, E. W., ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■. Princeton, 1988.⑵ Barrett, C. E., ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Oxford, 2019.⑶ Mayboom, P. G. P., ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Religions in the Greco-Roman world 121, Leiden, New York, Koln, 1995, pp. 164.⑷ Pesando, F., ʻLʼUltima Fase Edilizia di Pompei, sessanta anni dopoʼ, introduzione per A. Maiuri, ■ʼ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Napoli, 2002.⑸ Stone, D. L., “Africa in the Roman Empire: Connectivity, the Economy, and Artificial Port Structures”, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Vol. 118, No. 4 (October 2014), pp. 565-600.; 大城道則『古代エジプト文化の形成と拡散』ミネルヴァ書房、2003年。⑹ Barrett, C. E., ■■■■■■■., 2019, pp. 120-136.⑺ Pliny, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■, XXXV, 142.⑻ 《パレストリーナ・モザイク》研究については以下を参照。Mayboom, P. G. P., ■■■■■■■., 1995.; 田原文子「古代ローマにおけるエジプト表象─パレストリーナの『ナイルモザイク』に関する研究の現状と解釈の試み」『超域文化科学紀要』第15号、2010年。離が大きい。しかしこの表現は、のちにエジプトへ伝播し、エジプトにおけるローマ美術でもモティーフのひとつとして取り入られることになる(注22)。また、古代ローマでは、ローマ人同士の性的な場面を示す壁画は数多く発見されているが、実際の行為に及んでいるものはプライベートな空間あるいは娼館などに描かれるのが主である。しかし、行為に及ぶピグミーたちをペリステュリウムやトリクリニウム(注23)といった人の出入りがある空間に描くということは、一種の異国の戯画的表現として楽しんでいるためであろう(注24)。5 おわりに本研究では、イタリア国内とエジプトにおけるエジプト表象を比較し、その特徴と影響関係を明らかにしようと試みた。しかし、当時のローマ人が、第4節で指摘したような作品の制作地までを特定し、区別してエジプト表象を鑑賞するようなことがあったとは考えにくい。つまり、ポンペイのエジプト表象においては、実際のエジプトの自然環境に近いものとそうでないものとが混在していたことになる。その点における当時のローマ人の思想については、今後当時の著述家たちの記述の参照しながら考察を進めていく。そして、新型コロナウイルス感染症の感染拡大や世界情勢などの影響により本研究期間内では実施できなかった現地調査による周辺環境との比較についても、今後の課題としたい。― 419 ―― 419 ―

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