鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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諸地域を統合する中核として、国際秩序の要として、両晋期から南北朝時代にかけて王権は機能したのである。周辺諸地域を中国の秩序に位置付けることは、社会(地域)連携を国外へと延伸することでもあり、中華世界の再編が内外の勢力を対象としつつ進展したのがこの時代の特徴であった。(2)秩序と装身具中国の社会秩序は、制度と行為の相互作用によって体現され、その詳細は輿服志・礼儀志など歴代の史書に記述されている。官爵を反映した服飾規定や典礼制度は、秩序を可視化する装置であった。しかし、五胡十六国のような流動性が高い社会での実態は不明である。一方、墓葬の出土資料は、同時代の行為や理念を物質化したものである。壁画や出土俑から鹵簿(儀仗行列)を復元するように、出土資料の分析をつうじて服飾や儀礼の実態は復元が可能であり、文字化されていない、記録されていない秩序への接近は可能である(注4)。そして、流動性の高い、不安定な社会では、ある「形」の行動や「もの」の存在が、地位や職掌を可視化した。制度の裏付けや体系性を備えてなくても、文物や行為は秩序を表象したのである。4世紀に華北東半を支配した五胡十六国の一つである燕(慕容鮮卑)の墓では、冠や帯金具、馬装や武装など、各種の装身具を副葬しており、文献資料には未詳の服飾制度への接近が可能である。そこには、装身具の分析により、慕容鮮卑の社会秩序の実態やその形成過程の検討が可能になる。出土資料の分析は、秩序の復元に有効であることは言を俟たない。また、南北朝時代の5・6世紀には、周辺諸国の統治階層に中国の官職爵位を授与した記録があるため、官爵に応じた服飾や装身具の賜与が想定される。しかし、その明証はない。この時期の朝鮮半島や日本列島に登場、普及する帯金具や冠、装飾大刀などの装身具に注目し、身体装飾と秩序を体系として比較することでその関係を評価することは可能である。中国国内外で関連した秩序の構築は、装身具から接近することが可能なのである。(3)装身具の検討視点の問題点六朝期の装身具は、中国の内外で構築された秩序を検討する有用な資料であり、その検討は早くから進められてきた。しかし、研究は一定の方向で進められてきた。文献記録と出土資料を対照した、考証学的な検討を中心に、分析は進んだのである。器物名称の同定や被葬者(着装者)の身分や経歴との対照は、輿服志や礼儀志が記す体系・秩序を前提とした検討であり、制度運用の実態を強く意識して研究は深化してき― 424 ―― 424 ―

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