㊵ 初代・飯塚桃葉と18世紀の江戸文化─「百草蒔絵薬箪笥」を中心に─研 究 者:公益財団法人 根津美術館 学芸員 永 田 智 世1.はじめに根津美術館で所蔵する「百草蒔絵薬箪笥」〔図1〕(以下「薬箪笥」と称する)は、蒔絵師・初代飯塚桃葉(?~1790年、本稿では以降「桃葉」とした場合は断らない限り初代について述べる)の作品である。桃葉は初名を源六といい、宝暦14年(明和元年、1764)5月1日に徳島藩主蜂須賀重喜に召し出され桃葉と改名、細工銘に観松斎知足としたためるよう仰せつけられた。明和6年(1769)に藩主が治昭に交代しても蜂須賀家に抱えられ、寛政2年(1790)9月に歿している(注1)。桃葉については徳島を中心に研究が進んでおり、「薬箪笥」についても1995年に桃葉の基準作として取り上げられている(注2)。それを機に近世の漆工史上、重要な作例であることは徐々に漆工史研究者の中では認識されているが、作品研究は進んでいないというのが現状である。そこで本研究は、美術史だけでなく薬学の観点も導入しながら「薬箪笥」の特質を明らかにすること、そしてそれを踏まえ、制作背景を18世紀の江戸文化の中で探るものである。2.「薬箪笥」について「薬箪笥」は、徳島藩主の蜂須賀家に伝来し、昭和8年の同家の売立により、初代根津嘉一郎が購入、現在根津美術館で所蔵している。前面に蓋のある倹飩蓋造の薬を収納するための箪笥で、内部は縦6段とする中に、大小10の抽斗を備える〔図2〕。箪笥の左側面に金蒔絵銘で「観松斎/桃葉造(花押)」、底裏に彫銘で「明和八辛卯年十一月日」とあることから、蜂須賀家のお抱え蒔絵師である桃葉によって制作され、明和8年(1771)11月に完成したことがわかる。運搬用の担い棒を通す鐶付の革貼りの外箱に収められている。主たる技法は研出蒔絵である。複数種類の金粉を用いた金のグラデーションだけでなく、銀粉、また粉固めに朱や緑の色漆を用いており、色彩が強く意識されている。文様は器表を73、内部の抽斗を18の区画に不規則に分け、地蒔きだけの部分もあるが、基本的にはそれぞれ異なる意匠が施される。それらは名物裂、料紙装飾、四君子、寿字、金唐革など多種多様で(注3)、その配置は氷裂文とも寄裂風ともいえる。一方、― 435 ―― 435 ―
元のページ ../index.html#444