天明7年(1787)頃 雲龍蒔絵笛筒(東京国立博物館)桃葉を抱えていた重喜は明和6年(1769)に幕府より隠居を命じられ江戸・小名木沢屋敷に籠もる。安永2年(1772)4月19日には徳島に帰国し、郷中の大谷屋敷に入るが(1788年まで)、制作年のわかる作品はこの大谷屋敷時代に集中している。それらは、主題こそ違えど金地、濃梨子地、金切金地などの強い金色地に肉合研出蒔絵等で立体的に文様を表すという、一見して絢爛豪華とわかる作風が特徴として言える。これらは蜂須賀家の御用の際にしたためるとされる「観松斎」銘とすることから、この時期の注文主(重喜)の趣向が反映されていると考えてよいだろう。大谷屋敷時代の重喜は、贅沢三昧の生活をしていたとされるが、桃葉の蒔絵からも、その傾向を見て取ることができる。一方の「薬箪笥」は、あれだけの多様な意匠を総研出蒔絵で表すという技術的にも大変高度な技が駆使されているものの、大谷屋敷時代のわかりやすい豪華さとは対照的で、抑制の効いた壮麗さである。この頃の重喜は、江戸の小名木沢屋敷に蟄居中である。本作だけで作風の変遷を論じられないが、少なくとも、大谷屋敷の頃とは異なる趣向ということだけは指摘できるだろう。また、現在制作年代がわからない他の研出蒔絵の作例と比較しても、その精度や意匠は一線を画す格調高い作品である。「薬箪笥」は、当時老中職にあった田沼意次の時代の華美な気風を表していると、大谷屋敷時代の作例と共に一括りに評されてきたが、個別に制作背景を検討する必要があると言える。4.薬学の観点から見た「薬箪笥」ここで美術史の視点から離れて、「薬箪笥」を本来の用途である薬学の視点から考察してみたい。検討を要する事項は①蓋裏の百草の特色、②薬箪笥に備えられた薬類の特色であろう。本件については、大阪大学総合学術博物館の髙橋京子氏に協力を求めた。①蓋裏の百草の特色蓋裏に描かれた百草(100品目)について、現行の日中公定書収載生薬(日本:「日本薬局方第18改正及び日本薬局方外生薬規格」2022年、『中薬材鑑定図典』)と比較したところ、日本漢方由来64%、中薬材27%、詳細不明12%であった。中国医学(中医学)特有の生薬名称が複数散見するが、大部分が現行の漢方医学でも使用される生薬である。また、東西共通の生薬(蒲公英・薄荷・鬱金・胡椒など)― 438 ―― 438 ―
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